「イタリアの美術、衣装で演出家も指揮者もイタリア人と、まさにイタリアという環境の中で大きな舞台を務めさせていただきました。高い実力の共演者に囲まれ、私には不可能と思われるほど高いものが求められましたが、理解し尊敬し合って力を出し、一人では乗り越えられないことを成し遂げる貴重な経験をさせていただきました」
父も声楽家で、母はピアニストの音楽一家。豊かな自然に囲まれた沖縄県立芸術大学に学んで音楽の深い喜びに目覚めた。
「幼稚園では名前を呼ばれると、一人一人がそれぞれに音程をつけて返事することになっていて、きれいな声だと先生にいわれ、とてもうれしかったのを今もよく覚えています。大学はどんな先生がいらっしゃるかを考えて選びなさいと高校時代に師事していた声楽の先生に教えられ、東京と沖縄の両方で指導されている先生と出会うことができました。声楽専攻が1学年にわずか8人で、じっくりと学べる沖縄の大学を選びました。沖縄の光や風を肌に感じ、歴史や人が織りなす情緒に触れたことが私の中に息づき、歌に反映しているように感じられます」
イタリアの名門、ボローニャ国立音楽院でも研鑽(けんさん)を積んだ。中世の面影を色濃く残しながら最先端の都市機能を持ち、音楽都市としてユネスコに登録されている北イタリアの古都での経験も大きな意義をもたらした。