そうして、そのまま、置き去りのままである。捨ててしまおうかという持ち主の意思が袋詰めまでは追い詰めておいて、やっぱりどうしたものかと放置。これでは袋詰めされた衣類たちだって、踏ん切りがつかない。もしかしたら思い直して袖を通してもらえるのかもしれないと、淡い期待を抱いているのかもわからない。キングコングや巨大タコも争うのやめて、水着美女と一緒に固唾をのんで、袋の中、私の動向を探っているのかもわからない。だって俺たち一緒に舞台にまで上がったじゃないかよ旦那、捨てるなんてわけないよね。
かさり、と紙袋が音を立てたような気がした。
このように無機質のモノモノに気分のようなものが宿ってしまうのは、モノモノに託したわれわれの思い出がやたらと染み付いてしまうからで、人間はやっぱり、こうしたモノばかりに頼るのではなく、脳に限らず、目玉だったり、指だったり、肉体そのものに記憶を刻み込まないといけません。でないとモノなく思い出に浸ることのできない、ちんけで不自由な無機的人間に陥りかねないではないか。それでは人形、モノである。