ボストン美術館収蔵の鈴木長吉「水晶置物」もこの時代、欧米で好まれた輸出工芸品の一つ。高さ40センチを超え、過剰に装飾的な置物は日本人の趣味には合うとは言えないが、広い外国人の邸宅に合わせてか、大振りに作られている。ほかにも、長さが2メートルもあって、手足が動く竜の「自在置物」や、七宝の技術で描かれた幅60センチの額絵などが海を渡った。
絵画では高橋由一(1828~94年)らが幕末から、イギリス人のチャールズ・ワーグマン(1832~91年)に「(西)洋画」を学び始めていたが、新政府が1876年、殖産興業を目的にした「工部美術学校」を設立した後は、バルビゾン派から影響を受けた風景画家、アントニオ・フォンタネージ(1818~82年)らが来日して教壇に立つ。
内外で異なる評価の視点
一方、「日本画」という概念は、岡倉天心(1863~1913年)に協力して東京美術学校(現東京芸大)の開設に尽力したアーネスト・フェノロサ(1853~1908年)が「美術真説」の中などで論じたのが最初という。