それにしても愛想のない、逃げ出してばかりの、子供が大嫌いな、いつも腹を壊しているフランシスだったのにも関わらず、行方不明となると泣きながら日が暮れるまで探し歩いたのはなぜだったのだろう。幼い私はフランシスに恋い焦がれるあまり、ちょっかいを出し過ぎて嫌われてしまったのであろう。餌を与えるもののみが愛される特権を得るのだと思い込み、母に頼んで幾度かその役割を担わせてもらったが、無論見抜かれており、到底あのひねた猫心をつかむことはできなかった。母の足下にのみ丸くなるフランシス。私になでられると心底うるさそうにして、しばらく我慢した後、ひょいと私から離れるフランシス。
彼女が感じる時の流れとは
このフランシス・オブロコハウスとの苦い思い出ゆえに、私が成人してから実家にやってきたロシアンブルーのノエルとの関係は良好であるといえるだろう。子猫の時分に遊んであげたことが功を奏したというよりも、そもそもノエルがメスであるというところが大きかったように思う。若い頃、極度に人を嫌ったノエルであったが、母と私にだけは心を開いた。母は恐らく文字通り母として。