「15曲は、15の章からなる長い物語とも考えられます。弦楽四重奏曲は親しい仲間を呼んで演奏されました。彼の心の日記のようなものです」と荒井は話す。
スターリンの逆鱗に触れ
ショスタコーヴィチは共産党一党独裁の社会主義国家、ソ連とともに並走した。1906年、ペテルブルク生まれ。父親は度量衡検査局、母親はペテルブルク音楽院ピアノ科出身だった。自身もペテルブルク音楽院に入学、院長の大作曲家グラズノフに師事した。
1926年、卒業制作の交響曲第1番がレニングラード・フィルによって初演され、大成功。評判はすぐに欧米に伝わり、ワルターやストコフスキーも指揮している。順風満帆にスタートした作曲家人生だが、幾度となく大逆風にあう。36年、オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」とバレエ「明るい小川」が共産党機関誌プラウダで「荒唐無稽」と糾弾された。その2日前、「マクベス夫人」を見たスターリンは途中で退席していた。スターリンの逆鱗に触れたこのオペラは上演が禁止された。