私の鏡への恐怖は「不明」にある。もちろん鏡の向こうに世界があったとしたら、鏡というものが異界へ通じる何かであったらと仮定して初めて生じる不明性ではあるが、そうした可能性がまったくないというような絶対的科学の上にわれわれが生きているとは到底思えない。僅かなりとも可能性がある以上、やっぱりあるかもしれないのだ。そうなってくるとやはり鏡の孕(はら)む非日常性は神秘といえる。これだけ日常的に使用されている超自然的、魔術的道具は他にそうそうないだろう。
だからやっぱりこうして怖いまま、恐ろしいまま、私の何処までも羽ばたく空想の片鱗(へんりん)を、日常に潜む物語のかけらを、なるべく生のまま、皆さまに、そうした世界がまだはっきりと見えるであろう子供たちと、鏡をただの身だしなみの道具と思い込んでしまっている大人たちへ、お見せすることができたらなあと、恐怖を押し殺して、なぜだか大笑いで、今も稽古の真っただ中。(演出家 長塚圭史、写真も/SANKEI EXPRESS)