新しいファッションやメイクアップ、欧米文化があふれる世の中で、筆づくりの新たな道を拓(ひら)いたのが「化粧筆」でした。大阪の問屋を経由し、大手化粧品メーカーから1万5000人の美容部員が使う化粧筆をという大量注文が。さらに商社からは対米向けの新しい販路も舞い込んできたのです。時代の波に乗り、熊野町は化粧筆に本格的に乗り出すことになったのです。
高校を卒業した尺田さんが筆の仕事を始めたのはちょうどその頃でした。70年代には下請けで月100万本の仕事をこなすことも。広島のベッドタウンとして激増した主婦層や周辺地域の農閑期の女性たちも、パートや内職として生産を助け、町の約90%が筆の仕事に関わり需要を満たしていきました。
75年、書筆の分野で熊野は「伝統的工芸品」の認定を受けます。「質より量」を求められた化粧筆も、より安い価格の韓国、中国に生産が移行したことで転機を向かえ、大量生産から「良質なもの」を求める、次の時代へと歩みを進めることになります。「より美しく、より自然な仕上がり」を求めるメイクアップアーティストの厳しい要求に応えるため、対話を重ね、使い心地を試し、きめ細やかな作業のもとにノウハウを積み重ねて、熊野の高品質な化粧筆づくりの基盤が築かれました。