【BOOKWARE】
相撲は見せるための武芸だった。『古事記』には出雲のタケミナカタが諏訪のタケミカヅチを投げ飛ばしたという記事があり、『日本書紀』には野見宿禰(のみのすくね)が当麻蹴速(たいまのけはや)を「すまい」で破って「天下之力士」と褒められたという記事がある。力士はチカラビトと読む。
飛鳥時代には健児(こんでい)が相撲をとり、奈良時代には「抜出司」が選出されて相撲を仕切ったとか、突く・殴る・蹴るの三手の禁じ手さえ決めたという文書がのこっている。平安時代にはそれらが相撲節会(すまひのせちえ)になり、召合(めしあわせ・現在の取組)が十数番にわたって組まれた。しかし、上覧相撲が職能としての大相撲になったのは江戸の享保や宝暦のことだ。ここから興行のしくみが一挙に確立し、取組・番付・行司制度・部屋制度が確立した。
江戸の社会は「番付」の社会だ。遊女も和菓子も神仏も、温泉も職人も評判美人も猫も、なんでも番付になった。三味線にも芸者遊びも、朝顔や金魚や土産品も番付になった。浮世絵師たちはそんな番付にもとづいて美人を並べ、力士を並べ、猫を並べた。詳しいことは石川英輔の『大江戸番付事情』(講談社文庫)を読まれるといい。石川さんは江戸のことなら万事がおハコで、江戸の長屋事情にもエネルギー事情にもリサイクル事情にも詳しい。