【BOOKWARE】
荷風の『あじさい』を久保田万太郎が脚色した新派を観たのは、もう半世紀年以上も前のことなのに、義太夫の三味線弾きと芳町芸者の思いがけない悲劇的顛末の片隅に、ぽつんとあしらわれていた舞台の隅の紫陽花は、いまも目に残っている。荷風の原作は日本の短篇を代表する一作で、表題に『あじさい』を選んだ理由が当時から話題になった。
紫陽花は鎌倉の明月院や松戸の本土寺、三千院や三室戸寺などの連綿とした「あじさい寺」の景観もいいのだけれど、路地や小座敷で出会う紫陽花は、また格別にいいものだ。その即妙の風情を、芭蕉は「紫陽花や薮を小庭の別座敷」と詠んだものだった。旅に出る前の芭蕉が弟子の子珊(しさん)の別座舗(べつざしき)を訪れたときの句だ。いかにも芭蕉の「しをり」や「ほそみ」が逸情した。
紫陽花を詠んだ歌や句は少なくない。家持が「言問はぬ木すらあじさゐ諸弟(もろと)らが練りのむらとにあざむかえけり」と紫陽花の欺く色を詠み、定家が「あじさゐの下葉にすだく蛍をば四ひらの数の添ふかとぞ見る」と花弁の開きぐあいを詠んだ。けれども紫陽花を詠んでうまかったのは、なぜか圧倒的に俳句のほうなのだ。勝手気儘な色の移り変わりが俳句にもってこいなのだろう。とくに子規の「紫陽花やきのふの誠けふの嘘」が一本勝負だった。