【BOOKWARE】
端午の節句と母の日が続いて五月の子供はそわそわする。けれどもわが家はあまり子供用の遊びに阿(おもね)るということがなく、子供の日は柏餅を食べ、新聞紙の兜で遊んだあとは菖蒲湯に入る程度で、どこかへ出掛けることはめったにない。母の日も毎年ぼくが母に立派な卵焼きをつくるだけ。カーネーションなど贈らなかった。
ぼくの母は「きく」(貴久子)という。京都の呉服屋の大店(おおだな)の娘で、賑やかなことよりも静かなことが、生活よりも芸術が、未来よりも昔が、油絵より水彩が、山よりも庭が、ラジオやテレビよりも本のほうが、炒めものより酢のものが、チューリップより山吹や萩が好みだった。少しでも時間があると茶の間で古典や有吉佐和子を読むか、俳句をつくっていた。「紫陽花や朝にゆうべを知りぬるを」。
母がぼくにもたらしたものは、いろいろだ。鉛筆の削りぐあい、字の間架結構、言葉づかい、花の美しさ、水のきらめき、百人一首、お礼の気持ちなどは、教えられるというよりも、母の好みに従いたくておぼえた。母は九条武子や武原はんのような美しい女性とその仕草が大好きなのだが、そのせいでぼくの女性の好みも決まったようなもの、おかげであとから変更するのに往生した。