子供に何かを問いただすようなこともしなかった。寂しがったりがっかりしていると、一緒に寂しがったりがっかりしてくれた。話は長くなかった。そのかわりさまざまな由緒を挟んでくれた。女学校時代にラジオドラマ・コンクールで優勝したほどの文才の持ち主だったが、それをひけらかすこともなく、ぼくが晩年に小説や戯曲の執筆を促しても決してそれに乗ってくれなかった。
母は「本」と「歌」によってぼくの最もナイーブなところを形づくったようだ。本は絵本時代の『クリのおてがら』『日本一づくし』、3年生前後の石井桃子『ノンちゃん雲に乗る』、バーネット『小公子』『小公女』、壺井栄『柿の木のある家』『母のない子と子のない母と』、4年以降の『紅はこべ』『海底二万哩』『三国志』『砂漠の女王』『名探偵ホームズ』などが懐かしい。よくよく選んでくれたのだろう。
歌はたいてい母が「こんな歌があるんえ」と言って唄って聞かせてくれた。童謡や唱歌が多く、それも「はかない」「かなしい」「なつかしい」ものばかり。「花嫁御寮はなぜ泣くのだろう」「叱られてあの子は町までお使いに」「お嫁にいらした姉さまに」「雨はふるふる城ヶ島の磯に」「ちんちん千鳥の鳴く夜さは」「異人さんに連れられて行っちゃった」…。これを聴きながらぼくは泣くのである。