爆心地から約500メートルの小高い丘に立つ浦上天主堂。東洋一を誇った大聖堂は原爆で全壊したが、戦後に再建された。正面には、原爆で頭部が吹き飛ばされ熱線で黒く焼けた聖人像が立ち、街を見守っている=2015年8月9日、長崎県長崎市(松本健吾撮影)【拡大】
≪悲劇伝える「証言者」たち≫
ちょうど70年前の1945(昭和20)年8月、広島と長崎に相次いで原子爆弾が落とされた。広島には6日午前8時15分、長崎には9日午前11時2分。新型爆弾だった原爆の威力はすさまじく、熱線が一帯を焼き尽くし、爆風があらゆるものを吹き飛ばした。町は一瞬で灰燼(かいじん)と化し、多くの人が犠牲になった。
鳥越不二夫さん(84)は、広島市西部の山手町(現西区)にある自宅で被爆した。猛火に包まれた市街地から逃れ自宅周辺に押し寄せる人たちは一様に熱線で顔は溶け、両腕の皮膚は垂れ下がっていたという。
鳥越さんも体中が焼けただれ燃え上がるような痛みを感じ、翌日には意識がなくなった。軍医は母親に「助からない」と伝えたが、奇跡的に一命を取り留めた。被爆時に半袖シャツを着ていた鳥越さんの首元には今もV字の痕が残る。
山田一美さん(82)は、長崎市本尾町の浦上天主堂に近い爆心地から約2キロ離れた自宅近くで被爆した。たまたま岩陰にいて助かったが、近くの川で泳いでいた友人の多くは命を落とした。