先の大戦。駆逐艦で戦った乗組員が健在と聞いた。体験談を聞きたい。暑い夏の日。千葉県習志野市の住宅地を訪れた。石黒隆一さん(94)。かくしゃくとしている。記憶は鮮明だった。静かに語り始めた。
「わたしほど、激戦地で戦い、命を拾った者はいないのではないか」
新潟県出身。17歳で海軍に志願。広島・呉海兵団に入団した。基礎訓練を受けたあと、駆逐艦「不知火(しらぬい)」の乗組員となった。
「うれしかったですよ。戦艦や空母など大型艦は階級差が厳しい。駆逐艦の乗組員は200人ほどです。家族的なんです」
――北方海域で大演習をやる。命令を受け、不知火は北上した。1941年11月、択捉(えとろふ)島単冠(ひとかっぷ)湾に入港。空母、戦艦、巡洋艦が続々と集結する。待機中、乗組員はカニ釣りに興じた。甲板のストーブで焼いて食べたという。
新たな命令が伝わった。状況は一気に緊迫する。
――日米交渉が決裂すれば、ハワイ・真珠湾の敵艦隊を攻撃する。若い乗組員たちは「アメリカと戦争できる」と喜び勇み、乾杯した。