サンフランシスコ講和条約に署名する吉田茂首相。「連合国願望」が強い韓国は、署名国の資格があると米国に訴えたが、拒絶され、オブザーバー参加も認められなかった=1951年9月8日(共同)【拡大】
しかし、韓国は日本と戦っていないと英国が異を唱え、朝鮮戦争(1950~53年休戦)を共に戦っていた米国も英国にならう。米国は《連合国共同宣言》への署名(42年)がないとも指摘したが、韓国は執拗に食い下がった。宣言参加国は最終的に47カ国。全物的・人的資源を対枢軸国用戦力に充てる方針に同意していた。間の悪いことに、フィリピン独立準備政府や多くの亡命政府も参加していた上、連合国(United Nations)なる用語が宣言で正式採用された。交渉過程で韓国は、日本の講和条約締結を終始妨害し、島根県・竹島の韓国編入すら主張した。結局、韓国が得たのは在朝鮮半島の日本資産移管のみ。講和会議へのオブザーバー参加も拒絶された。
「光復軍」で歴史の粉飾
日本だった朝鮮は、欧州列強の植民地兵のごとく人間の盾にされもせず、日本軍将兵として戦った。朝鮮人の軍人・軍属は24万2000人以上。朝鮮人高級軍人の目覚ましい武勇に触発され、志願兵の競争率は62倍強に沸騰した。2万1000柱の英霊が●(=鯖の魚が立)國神社に祭られる。