記者会見する安倍晋三(しんぞう)首相=2015年10月6日午前、首相官邸(共同)【拡大】
13年12月、シンガポールでの閣僚会合では、直前の事務レベル協議で交渉がまとまりかけていた。しかし、本番の会合でフロマンは突然、それまでの協議から懸け離れた内容の紙を示し「異論はないか」と迫った。閣僚らが絶句する中、甘利は「話が違う」と反論し、交渉は振り出しに。「フロマンという人物を甘く見ていた」と交渉関係者はつぶやいた。
TPA法成立で潮目変わる
交渉が動きだしたのは14年4月の日米閣僚協議だ。米国はようやく重要農産物の関税存続を容認した。フロマンと時に怒鳴り合いながら議論を続けた甘利は「もう一回、担当相をやりたいかと言われれば、やりたくない」と漏らした。
甘利、フロマンともに、首脳からの強い期待と、国内の業界団体や議会からの圧力で板挟みになっていた。「お互いを毛嫌いしているとしか思えない」(米外交筋)という相性の悪さも指摘されていた。
その後、日本は牛・豚肉の関税率と輸入急増を防ぐセーフガードの最終案を米国に提示。ことし4月の閣僚協議までに、懸案だった牛・豚肉の問題はほぼ決着した。