架空の国設定して
表現の自由をめぐる祖国イランとの考えの相違から、あえて亡命生活を選んだのが11年前。本作の独裁者と同様、自らも世界の国々を転々としながら、映画を撮り続けてきたマフマルバフ監督は「今となっては僕の頭の中に国境という概念はなくなってしまいました。僕は地球人という意識で生活しているし、仕事をしています」と人生全般への意気込みを語った。映画館で自作映画の上映がイラン政府によって禁じられようと、あるいは、自分の名前がイラン国内の報道で禁句になろうと、マフマルバフ監督はどこ吹く風である。大統領の姿こそ、マフマルバフ監督自身の生き方を再確認したものであると強調してみせた。
本作の舞台を架空の国としたのも「地球人」たる自分自身を強烈に意識したものだった。「私が日本人キャストを使って日本国内で撮影した場合、その映画を見た日本以外の国の人々はふと『ああ、日本人のことを描いた作品か…』と考えてしまいがちで、それ以上の考察は望めないでしょう。でも、舞台の設定を架空の国とすれば、国籍を問わず誰に対しても、『この物語は自分の国を描いたものだ』と思わせることがきっとできるはずです。日本人、ロシア人、中国人が本作を見ても、違和感なくそのように感じ取れるでしょう」