大きな水圧がかかる海底での作業。穴を掘ると水が出るためセメントを注入し、固めながら掘り進める。長靴が汗と水で重くなった。1日わずか1メートルしか掘り進めない時もあった。「水平ボーリング」などの新たな技術を開発しながら前へ進んだ。
「手探り状態での作業だった。『10年』と思っていたが、20年以上かかってしまった」
異常出水に襲われ、何度も危機が訪れた。最大の危機は、76年5月。作業坑から最大毎分85トンも出水し、トンネル全体が水没しかねない状況に陥った。花田さんと同様、元漁師で同郷の角谷敏雄さん(81)に招集がかかった。
苦しみと悲しみ連続
「トンネルを沈めてはならねえ」。角材を組んでいかだにし、移動式ポンプを運んだ。足がつかないほど浸水したところでは水中に潜って作業した。
「あの時は戦争だった」