武富士が京都で地上げに乗り出したのは昭和60年ごろ。最終的にJR京都駅前の計約1万平方メートル▽高島屋京都店の南隣の土地約6700平方メートル(いずれも京都市下京区)▽同市左京区の山林約2万平方メートル-などを取得した。
うち京都駅前の土地は、駅の北東数百メートルという抜群の立地ながら、時間貸し駐車場として塩漬けにされている。背景には、地上げの失敗と死者も出した抗争という暗い過去がある。
一帯は古い住宅の密集地で権利関係が複雑だった。歴史的な経緯もあり、武富士は地元住民団体に地上げを依頼した。多くの商業施設や住宅の開発業者などが土地買収後の開発事業に興味を示し、地上げに投じられた資金は150億円を超えたとされる。
しかし、武富士は住民団体との間で資金トラブルが発生して土地取得が難航。その後、暴力団も介入したトラブルに発展し、住民団体の役員ら3人が殺害されたほか、襲撃、放火事件、発砲事件が立て続けに起き、古都は「暴力都市」と化した。