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大正8年生産開始の「カルピス」、最初は化粧箱に瓶入りの高級仕様
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化粧箱に入った発売当時の「カルピス」=1919(大正8)年 1919(大正8)年に生産を開始した「カルピス」は、7月7日に誕生から96周年を迎えた。誰もが、記憶のどこかに懐かしい思い出として残っている、おなじみの乳酸菌飲料。いつしか子供は親となり、さらにわが子や孫へ。今もなお、世代を超えて愛され続けている「カルピス」の誕生の歴史と、“心とからだの健康”に向き合う、最近の研究の一例を紹介する。
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創業者である三島海雲氏が、仕事で訪れた内モンゴルで遊牧民が飲んでいた「酸乳」(家畜の乳を乳酸菌で発酵させたもの)に出合い、そのおいしさと健康への効果を体験したことが、「カルピス」の原点だと伝えられる。三島氏は、日本で乳酸菌を用いた食品を生み出すために研究を重ね、乳を発酵させたものに砂糖を加えたクリーム「醍醐味(だいごみ)」の開発に成功。この製造過程で余る脱脂乳を乳酸菌で発酵させた食品「醍醐素」を発売した。ある日、醍醐素に砂糖を混ぜて1、2日放置したところ、偶然にも1本の試験管の中身がおいしく変化していることに気づく。これを商品化することを目指し、砂糖の混合率、酵母の種類、発酵・熟成に要した時間や温度など、さまざまな発酵条件の実験が繰り返された。
◆戦時中は平和物資として統制
三島氏は「おいしいだけではなく、健康に役立つものを作りたい」という思いから、当時、日本人の食事に不足していると指摘されていたカルシウムを添加し、栄養的価値をさらに高めた。こうして、日本初の乳酸菌飲料「カルピス」が1919(大正8)年7月7日に誕生したのである。
「カルピス」誕生の4年後、23(同12)年9月1日に東京を関東大震災が襲った。大きな被害を受けた東京で飲み水を求める人々に、三島氏は、冷たい「カルピス」を配って歩いたという。被災を免れた工場にビヤ樽(たる)で十数本あった「カルピス」の原液を水で6倍に薄め、それに氷を入れて冷やして配った一杯が、多くの人々に生きる力を与えた。
時代は昭和に移り戦時統制に入ると、「カルピス」のように嗜好(しこう)性の強い飲料は“平和物資”とみなされ、厳しい統制を受けた。41(昭和16)年に太平洋戦争が勃発すると、一般への生産を中止せざるを得ない状況になる。事態が深刻さを増していくなかで、「カルピス」が軍需物資として認定され、原料・資材の特配を受け、“軍用カルピス”を製造し、軍部に納入していた時代もあった。
45(同20)年の東京大空襲によって、本社のある渋谷・恵比寿の一帯は焼け野原と化し、製造設備や長年の研究記録、統計等の書類なども一夜にして焼失。終戦と同時に、「カルピス」はゼロからの出発をすることとなる。
◆種類の広がりで人気商品へ成長
46(同21)年に東京工場を再建し、牛乳の代用品である「厚生乳」の生産を中心として、復興へと歩き始めた。48(同23)年には人工甘味料を使用した「カルピス」の生産を開始。砂糖の統制が解除され、戦前と同じような全糖の「カルピス」の生産が再開されたのは、53(同28)年のことであった。その後、オレンジやグレープ、アップル、グレープフルーツ、パインアップルなどの「カルピス」フルーツシリーズを発売するなど商品の幅も広がり、69(同44)年には、年間で1億1000万本を販売する人気商品へと成長していった。
その後、「カルピス」を炭酸で割った「カルピスソーダ」や、ストレートで飲む「カルピスウォーター」も誕生。この手軽に飲める清涼飲料水のヒットによって、「カルピス」の認知はさらに広がる。一方で、「カルピス」の原点である「原液を水で希釈して作る」という手順が“心の健康”にもつながるという研究結果が報告され、新たな注目を集めている。