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北方領土問題から歴史認識は切り離せない
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毎日新聞の9月15日付「今週の本棚」に掲載された、北海道大学スラブ研究センターの岩下明裕教授の著書『北方領土・竹島・尖閣、これが解決策』(朝日新書)の書評記事を読んで、岩下教授の国家観、人間観に対して強い疑念を覚えた。
記事で、岩下教授は根室市などの北方領土に近接する地域の人々の認識についてこう述べている。
〈「だから、北海道根室市など境界(国境)地域の人々は、ナショナリズムを信じません。彼らが望むのは、境界の安定による『生活圏』の充実です」〉
岩下教授は、いかなる根拠に基づいて〈「北海道根室市など境界(国境)地域の人々は、ナショナリズムを信じません」〉と言うのか。挙証する責任がある。北方領土の元島民を初めとする四島に隣接する地域の人々は、領土返還に対する強い思いを持っている。その点で、この人たちはナショナリストだ。同時に、地理的優位性を生かし、ロシアと交流し、経済的利益も得たいと考えている。岩下教授は、根室市など境界地域の人々の利害関心を「生活圏」に矮小(わいしょう)化している。境界地域の人々が持つナショナリズムを理解できない程度の人間観しか持たない人物が北方領土問題について語っていること自体が驚きだ。
さらに記事で、岩下教授は〈「歴史について領土と別に近隣諸国と議論する公的な場が必要」〉と述べている。その上で、記事は〈参考になる例がある。日本は、北方領土交渉の「川奈提案」(1998年)でソ連が中立条約を破って千島を奪った歴史問題を、今の領土問題と切り離す「概念の革命」を実現していた〉と解説している。
筆者は、川奈提案に直接関与している。この提案ができた経緯をもっとも詳しく知る1人だ。川奈提案の内容は、現在も外交秘密なので、この場で明らかにすることはできないが、〈ソ連が中立条約を破って千島を奪った歴史問題を、今の領土問題と切り離す「概念の革命」〉なるものが存在しないことだけは断言できる。「川奈提案」で日本政府は択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島からなる北方四島の日本への帰属確認を要求している。この原点は、45年8月にソ連が当時有効だった日ソ中立条約を侵犯した事実にある。それだから、51年のサンフランシスコ平和条約2条c項で、日本政府は千島列島を放棄し、その時点の認識ではこの放棄した千島列島に南千島(国後島、択捉島)が含まれていたにもかかわらず、56年の日ソ共同宣言以降、四島に対する返還要求を継続しているのだ。北方領土問題を歴史認識から切り離すことは不可能である。
さらに記事は、〈次に、「フィフティ・フィフティ」で、地元を尊重した解決策を練る。北方領土なら、たとえば、歯舞・色丹両島の返還と、国後島西端の自由港化などを組み合わせて、根室などと一体で地域振興をはかる〉と、解決策について紹介している。まさに「バナナのたたき売り」のような発想で、平和条約交渉を始める前から、国後島、択捉島の日本帰属を諦めろということだ。領土は国家の礎だ。岩下教授には、国家の論理が皮膚感覚で理解できないようだ。さらに岩下教授は〈「静かな方が領土問題は解決すると思いしばらく沈黙しましたが、この数年、状況が悪くなりすぎた。発言せざるを得なくなりました」〉と述べている。
率直に言うが、岩下教授が何を語ろうと日本の外交政策に影響を与えるような状況は過去に一度もなかったと思う。岩下氏は、「状況が悪くなりすぎた」から北方領土問題について「発言せざるを得なくなった」のではなく、自己の都合で発言のタイミングを選んでいるに過ぎない。岩下教授は、再び政治ゲームに参加した。岩下教授の政治的狙いが何であるか、今後、注意深くウオッチすることにする。(作家、元外務省主任分析官 佐藤優/SANKEI EXPRESS)