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「娘の笑顔支え」五輪目指す 安藤美姫 全日本「プレッシャーなし」

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「娘の笑顔支え」五輪目指す 安藤美姫 全日本「プレッシャーなし」

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選手として、母としてソチ五輪出場への強い意気込みを語った安藤美姫(みき)選手=2013年12月18日、神奈川県横浜市(寺河内美奈撮影)  今春に女児を出産し、3季ぶりにリンクに戻ったフィギュアスケートの安藤美姫(みき)選手=新横浜プリンスク=が、ソチ五輪出場を懸けた全日本選手権(12月21~23日、さいたま市)の開幕を3日後に控えた12月18日、報道陣のインタビューに応じた。「ここまで時間は短かったけど、プレッシャーは全然ない。楽しみです」。ライバルがひしめく中、五輪代表3人の枠は狭き関門だが、この日に26歳の誕生日を迎えた「戦うママ」の表情はとても晴れやかだった。

 過去、世界選手権優勝2回、全日本選手権優勝3回、2010年バンクーバー五輪5位の実績を誇るが、復帰当初は厳しい目が向けられた。それでも国際大会で試合感覚を取り戻し、五輪出場に必要な最低技術点を獲得。全日本は2度の予選大会を勝ち上がって出場を決めた。

 諦めなければ無理はない

 「『もう跳べないだろう』って言われたし、8割くらいの人がそう思っていたはず。でも、諦めなければ、限界はあっても無理ということはない。今は胸を張ってそう言える」

 かつては周囲にも伝わるほどピリピリした緊張感を放っていたが、すっかりリラックスした雰囲気に変わっているのは自身も認めている。

 復帰当初は体力面が不安視された。実際、「最初は体力や筋力の面で、フリーで4分間滑り切るのがすごく大変だった」と振り返る。

 復帰に際して誓ったのは子育てとの両立だった。リンクから戻れば疲れていてもミルクを作り、離乳食を口に運ぶ。夏頃までは夜泣きに悩まされながら、数時間ごとに起きて寄り添った。

 「誰かに預ければ体も楽だっただろうけど、スケートしかやっていないといわれるのは絶対に嫌だった」

 彼女が大きくなったときに

 以前のレベルまでなかなか戻らなかったり、復帰後の体調不良に心が折れそうになったりしたとき、支えてくれたのもまな娘の笑顔だった。

 「何回もギブアップしようと思ったけど、練習を終えてリンクから帰り、笑っている顔を見ると…。彼女が大きくなったとき、あきらめないことが大切だと伝えたいと思った」

 全日本選手権には浅田真央(23)、村上佳菜子(19)=ともに中京大、鈴木明子(28)=邦和スポーツランド、そして昨季の全日本選手権3位の宮原知子(さとこ、15)=大阪・関大高=らライバルが勢ぞろいする。安藤選手が3大会連続となる五輪出場を果たすためには、最低でも3位となって表彰台に立たなければならない。

 「自分のベストを尽くしたい。自分の決断を受け入れて、サポートしてくれた人たちと一緒に、夢(ソチ五輪出場)をかなえられたらいい」。大きな瞳に決意がにじんだ。(SANKEI EXPRESS

 ■日本代表の選考方法 ソチ五輪のフィギュアスケート日本代表枠は男女とも最大となる「3」。日本スケート連盟の選考基準では、男女とも今回の全日本選手権の優勝者に内定を出す。残る2枠はまず全日本の2、3位と今月上旬に福岡で行われたグランプリシリーズ(GP)ファイナルで3位以内となった最上位者から1人を選ぶ。最後の1人は世界ランキング、得点のシーズンベストの各上位3選手も加えて選出する。

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