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【取材最前線】“別人”になった大家、メジャー挑戦
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日本球界で16年ぶりの勝利を挙げ、復帰初登板を白星で飾った大家友和=2010年5月2日、東京都新宿区・神宮球場(春名中撮影) 「自分自身が、まだ目の前で起きていることを消化できていない。夢みたいな話やから」。大家友和が昨年(2013年)末、米大リーグのブルージェイズとマイナー契約を結んだ。2月からのメジャーの春季キャンプに招待選手として参加できることも盛り込まれた。
かつて、高校卒業後に入団した横浜(現DeNA)で5年間にわずか1勝しか挙げられず、自由契約で海を渡った異色の経歴の持ち主。ブルワーズなどで日本人歴代4位の51勝をマークした。だが、契約したのは、実績を積み上げた右腕とは“別人”の大家なのだ。5季ぶりにメジャーに挑戦する大家の球種は、ナックルボールのみ。球速110キロ前後のスローボールに見えるが、本塁までの18.44メートルをほぼ無回転で投げることで、空気抵抗によって不規則に変化する“魔球”だ。ナックルボーラーは、ほぼすべての投球をこの球種のみで勝負する。これまでの投球術をすべて捨てての挑戦だ。
2010年に日本球界に復帰したが、11年秋に右肩を手術。オフに戦力外通告を受けた。リハビリ後の異変が、転身のきっかけだ。手術から1年近くが経過しても、球速が元に戻らなかった。普通なら引退。だが、どうすれば現役を続けられるかを考え、ナックルにいちるの望みを託した。
気の遠くなるような道のりだった。日本ではほとんど誰も投げない球種。教えを請うコーチもいない。自宅に置いたネットや公園でのキャッチボールで無回転で投げられるように我流で握りを工夫し、指先でボールを弾くように投げる微妙な感覚を研ぎ澄ました。昨季は日本の独立リーグのBCリーグ富山でプレー。オフに米アリゾナ州で複数球団に投球を披露し努力が報われた。非公式も含めてすぐに数球団からオファーが届いたのだ。
12年にメジャー投手最高の栄誉であるサイ・ヤング賞を獲得したR・A・ディッキー(ブルージェイズ)もナックルボーラーに転身した一人。この賞を受賞したとき、38歳だった。球速が必要ないため、習得すれば長く現役を続けられるメリットがあり、通算200勝を挙げたティム・ウェイクフィールドは45歳までプレーした。
37歳の大家は「この世界ではまだまだ若輩者」と笑う。映画のような挑戦が始まった。(田中充/SANKEI EXPRESS)