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【タイガ-生命の森へ-】雪原で欠かせぬ「生きた道具」

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【タイガ-生命の森へ-】雪原で欠かせぬ「生きた道具」

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ビキン川沿いの崖に上がり、タイガに昇る朝日を迎える。ウデヘの伝統的なスキーが役に立つ=2013年3月16日、ロシア・クラスヌイ・ヤール村(伊藤健次さん撮影)  快晴の朝。まだ薄暗いうちに狩小屋を出てウデヘの猟師に借りたスキーをはく。雪の積もったビキン川上流のタイガ。積雪は今の時期でも1メートルほど。アカシカの毛皮を裏につけたスキーさえあれば、雪に埋もれることなく森を歩くことができる。

 針葉樹のチョウセンゴヨウやエゾマツ、広葉樹のモンゴリナラやアムールシナノキなど樹種多彩な木立を快適に抜けて尾根にとりつく。夏はジャングルのように鬱蒼(うっそう)とした森が、広葉樹が葉を落とした冬は明るくすがすがしい。

 僕は普段も北海道の雪山に入る時はこんな「歩けるスキー」を使う。板の裏に「シール」と呼ばれる逆毛の滑り止めを貼り、かかとが上がる金具で靴を固定するものだ。ウデヘのスキーも原理は一緒だが、板は木製で、つま先とかかとを止めるバンドには革や布など音が出づらい素材が使われている。まさにスキーの原型だ。それが厳しい環境のタイガで、生きた道具として活躍しているのに感動する。

 小屋の屋根には時折スキーの形に荒削りした板が挟んである。ウデヘの猟師はそうして森で切り出した板を形を整えながら乾燥させ、新しいスキーを作る準備をしておくのだ。

 滑り止めも自分で捕った鹿のすねの毛皮。その形を生かしてスキーの先端を包み、短い毛皮を何枚も丁寧に継ぎ足して板の裏に貼りつけている。手作りのスキーそのものがタイガの恵みなのである。

 ≪自然と人が描く冬のタペストリー≫

 真冬のビキン川は表面こそガチガチに凍っているが、豊富な湧水のおかげで氷の下はよどみなく水が流れている。凍(い)てついたガラスに似た、ひたすら透明で冷たい冬のタイガの空気を吸いながら、川の上をスキーで闊歩(かっぽ)する。それだけでもここに来たかいがあると思う。

 靴だけで歩くより、スキーは氷の踏み抜きが少ない。スノーモービルとくらべて何より音が静かだし、燃料も必要ない。そして自分の足と素朴な道具で歩くスピードが、森をじっくり見て、感じ取っていくのにちょうどいい。立ち止まって耳を澄ませば、氷下の水の音が聞こえてくる。タイガの静寂な気配が体に染み込み、自分自身もタイガに包まれていく感覚がたまらなく心地いい。

 雪に覆われたビキン川は一見、どこも同じような単調な風景が広がる。だが足元に目をこらせば、氷上には風が残したさまざまな雪の紋様がある。氷の中には気泡が閉じ込められ、その不思議な抽象に見入ってしまう。

 ところどころの開氷面には森から水を飲みにきたシカたちの足跡が続き、小さな氷の窓に、さらに小さなカワガラスの足跡がちょこちょこと出入りしている。たとえ姿はなくても、そんな痕跡にふれるだけで、氷と雪の世界に血が通ったように感じる。振り返ると広い雪原に僕のスキーの跡がジグザグの影を刻んでいる。タイガの風や動物たち、そして人の痕跡もが冬ならではのタペストリーを描いていた。

 ふと蒼(あお)い氷の上に落ちた一枚のアムールシナノキの葉に目がとまった。枝につく葉ではなく、果実についていたものだ。直径1センチ弱の丸い実はどこかで落ちたのか、あるいは鳥に食べられたのか。木は種子をできるだけ母樹(ぼじゅ)から遠くまで飛ばそうとさまざまな工夫を凝らしている。シナノキの場合、果実についた長い葉が翼やプロペラの役目を果たし、風に乗って飛んでいく。氷雪の紋様の中にぽつんと落ちて日に照らされた葉は、凍てついた氷海を漂う小舟のようで目が離せなかった。冬のタイガで出会う風景は、いつしか人の存在と重なって見えてくる。

 狩小屋へ帰る途中のこと。夕暮れが迫るタイガの上空を、一筋の光が長い尾を引いて駆け抜けていった。東京からハバロフスクへ向かう飛行機だろうか。初めて飛行機から眼下に広がるタイガを見た時、ここに暮らす猟師や動物たちの様子はまったくといっていいほどわからなかった。しかし今は、あの飛行機雲の下にたたずむ狩小屋の中でストーブを焚(た)く猟師の顔がありありと目に浮かぶ。

 そして北海道に戻ってきても、同じ冬をタイガで過ごす野の生きものたちの息づかいを、僕はリアルに想像することができるようになった。(写真・文:写真家 伊藤健次/SANKEI EXPRESS

 ■いとう・けんじ 写真家。1968年生まれ。北海道在住。北の自然と土地の記憶をテーマに撮影を続ける。著書に「山わたる風」(柏艪舎)など。「アルペンガイド(1)北海道の山 大雪山・十勝連峰」(山と渓谷社)が好評発売中。

 ■ビキン川のタイガ ロシア沿海地方に広がる自然度の高い森。広葉樹と針葉樹がバランスよく混ざっており、絶滅に瀕したアムールトラをはじめ、多様な種類の野生動物が生息している。

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