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【ジャンプ】世代超え一丸 復活の「銅」 ジャンプ団体、16年ぶりメダル

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【ジャンプ】世代超え一丸 復活の「銅」 ジャンプ団体、16年ぶりメダル

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ジャンプ男子団体で銅メダルに輝き、表彰台から歓声に応える(左から)清水礼留飛(れるひ)、竹内択(たく)、伊東大貴、葛西紀明=2014年2月17日、ロシア・ソチ(大里直也撮影)  ソチ冬季五輪第11日の2月17日、ノルディックスキー・ジャンプ男子団体に清水礼留飛(れるひ、20)=雪印メグミルク、竹内択(たく、26)=北野建設、伊東大貴(だいき、28)=雪印メグミルク、葛西紀明(41)=土屋ホーム=で臨んだ日本は銅メダルを獲得し、優勝した1998年長野五輪以来16年ぶりとなる団体のメダルに輝いた。ドイツが3大会ぶりに制した。今大会の日本のメダルは6個目。日本は1回目で3位につけ、2回目も安定した飛躍で3位に入った。

 始まりは長野

 最後に飛び終わった葛西が次々とチームメートと抱き合う。2チームを残してトップに躍り出た。メダル確定、そして銅メダル。フラワーセレモニーを終えた葛西の目には涙が溢れた。

 ソチ五輪の「日の丸飛行隊」は、あの日がスタートだったのかもしれない。長野五輪ジャンプ団体戦。日本の金メダルに列島が沸いた1998年2月17日だ。

 清水は長野県白馬村のジャンプ会場にいた。「親に連れられて行ったけど覚えてない」。当時4歳。「五輪でメダルを」と夢を抱くのは小学1年でジャンプを始めてから。長野の歓喜は映像の記憶だ。伊東も同じ会場にいた。北海道下川町から地元出身の岡部孝信らの応援に駆け付けた。小学6年生は地鳴りのような大歓声の中に身を置き「かっこいい」と震えた。中学では野球をやるつもりでいたがスキーを選んだ。

 小学4年だった竹内はテレビで観戦していた。当時、距離スキーをしていた少年は「夢をもらった」と、金メダルの光景に憧れてジャンプを始め、中学を卒業するとフィンランドに留学して技術を磨いた。

 葛西は沸き返る観衆の中で1人悔し涙を流していた。直前に左足首を痛めてメンバーから外れ、ジャンプ台の横から原田雅彦(45)や船木和喜(38)が抱き合う姿を見た。「長野の悔しさがあった」から一線で戦い続けてきた。

 たすきつなげた

 それから16年。偶然にも同じ2月17日。4人は同じチームで戦った。今季、ワールドカップ遠征メンバーから外れた時期もあった20歳の清水は「守りに入ったら絶対駄目」と思い切りの良さで勢いをもたらした。26歳の竹内は難病の「チャーグ・ストラウス症候群」の可能性を疑われる中で2回ともK点を越え、「本当に多くの人に支えられた。感謝しかない」と声を詰まらせた。28歳の伊東は2回目の着地で五輪直前に痛めた左膝に痛みが走ったが、転倒をこらえ、役割を果たした。3度目にして「初めて悔いがない五輪」と晴れやかだった。

 41歳の葛西は言った。「後輩たちにメダルを取らせてあげたかった」と。そして、原田、船木と並び3つ目の五輪のメダルを手にしたことに「レベルが高い今季にメダルを取れたことは長野のメダリストより価値がある。中身は僕が勝っている」と胸を張った。

 ベテランと20代の3選手が力を結集して勝ち取った長野五輪以来16年ぶりの団体のメダル。日本のお家芸復活へ、たすきはつながった。(SANKEI EXPRESS (動画))

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