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応援できない毒蛇と毒サソリの戦い
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毒蛇と毒サソリが戦っている場合に、どちらかを応援しなくてはならないという義理はない。現下のウクライナとロシアのいさかいは、まさに毒蛇と毒サソリのにらみ合いだ。
ウクライナのヤヌコビッチ前政権が、民意から乖離(かいり)した腐敗政権であったことは間違いない。それだからといって今回、自動小銃や猟銃、火炎瓶などの軽火器を用いてキエフで権力を奪取したウクライナの新政権が、欧米や日本のように自由・民主主義・市場経済という価値観を共有する人々によって構成されているわけではない。特に西ウクライナのガリツィア地方を基盤とするウクライナ民族至上主義者には、反ユダヤ主義的傾向もある。
ロシア語で、「エトノクラツィヤ(этнокрация)」という言葉がある。英語だと「エスノクラシー(ethnocracy)」に相当するが、自民族だけで政治、経済、教育、文化のすべての権力を掌握しようとする支配体制を意味する政治的病理だ。とりあえず「自民族中心主義」と名づけておく。アルメニア、アゼルバイジャン、セルビア、クロアチア、コソボなどで深刻な民族紛争を引き起こした原理も、この自民族中心主義だ。
歴史的にハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー帝国)に帰属したガリツィア地方は、1945年にソ連軍によって占領されるまで、ロシア帝国・ソ連の領土になったことがなかった。19世紀にロシア帝国領のウクライナではロシア語化政策が進められ、ウクライナ人もほとんどロシア語を話すようになった。これに対して、ハプスブルク帝国では多言語政策が取られ、ガリツィア地方ではウクライナ語の新聞、雑誌、書籍が発行された。1991年12月にウクライナが独立した後、ウクライナ語教育が重視されたので、現在のウクライナの政治エリートはウクライナ語を理解する。しかし、東部、南部のウクライナ人は、現在もロシア語を常用し、ウクライナ語を理解しない人も多い。東部、南部の人々の間には、新政権がウクライナ語を習得していない者を公務員、企業幹部から排除する政策を取るのではないかという危惧が根強くある。
そもそも東部、南部に居住する人々は、自らがウクライナ人であるかロシア人であるかについて詰めて考えていない。ロシア語を常用し、正教徒であるので、民族について考えなくても、日常生活に支障がないのである。
ロシアは、ウクライナにおける自国民保護を口実に、軍事介入の意向を表明した。現時点で、ロシアはウクライナ南部のクリミア自治共和国に自国軍を展開し、自治共和国政府をロシアの傀儡(かいらい)にすべく腐心している。仮にロシアが軍事行動をウクライナ東部にも拡大することになれば、ウクライナ軍が応戦する。そうなるとこれまでウクライナ人であるかロシア人であるかについて、曖昧にしていた人々も民族的帰属を明確にしなくてはならなくなる。そしてウクライナ人とロシア人の民族紛争が始まる。この影響はロシア本国だけでなく、ウクライナ人、ロシア人の双方が居住するモルドバ共和国や中央アジア諸国にも及ぶようになる。そうなるとユーラシア地域全体が極めて不安定になる。この観点からも、ロシアがウクライナに軍事介入することを止めさせなくてはならない。
「ロシア国家の死活的利益が損なわれる場合には、近隣諸国の主権が制限されることがある」という制限主権論をロシアが放棄するように国際世論を結集していく必要がある。それと同時に、日本政府としては、ロシアが悪いならば、ウクライナが正しいと言うような単純な二分化を避け、現在、ウクライナで進捗(しんちょく)している事態を等身大で把握した上で、立場を表明することが重要だ。(作家、元外務省主任分析官 佐藤優(まさる)/SANKEI EXPRESS)