SankeiBiz for mobile

【逍遥の児】加藤登紀子さんとの再会

ニュースカテゴリ:EX CONTENTSのエンタメ

【逍遥の児】加藤登紀子さんとの再会

更新

 世界を舞台に活躍する歌手の加藤登紀子さん(70)。初めて会ったのは、1990年代。わたしは中東支局長だった。加藤さんはギターを抱えて、エジプトの首都、カイロにやってきた。悠久の大河、ナイルが流れる。コンサートを開いた。そのとき、取材した。

 春の夜。千葉県市川市の文化会館。障害者と市民がともに舞台芸術を展開する拠点「国際ユニバーサルアートタウン」設立に向けた集会が開かれた。加藤さんが支援に駆けつけるという。お会いしたい。宵闇の町を歩いていく。

 控室。ノックしてドアを開ける。加藤さんは、白い水玉模様の黒い服。にこやかな笑顔。あいさつを交わす。ポットのお湯を注ぐ。本番前。お湯を飲むという。話を切り出した。

 ――カイロでコンサートを開いたこと、覚えていますか

 「覚えているわ。大変だったのよ」

 舞台裏を話してくれた。本番当日。リハーサルをしようと早めに会場に入った。ところが、前日の公演の舞台装置が放置されたまま。だれも片付けようとしない。気質と文化がまったく違うエジプト事情。うん。うん。わかります。加藤さんは「もう知らない」とばかり、ホテルに帰ってふて寝。夕方。再び、会場へ。ようやく責任者と打ち合わせができた。

 「本番は、なんとか、うまくいったの。わたしが赤い、アジア風の衣装を着て『百万本のバラ』を歌ったら、ウオーってどよめきが起きた。コンサートの終わりには、日本語で『モウ1度。モウ1度』って」

 さて、市川の集会。加藤さんはマイクを握る。「障害のある子供たちが、舞台に上がる。内側からエネルギーがあふれてくる。揺さぶり、揺さぶられる。感動の瞬間が生まれる。みんなの力で、火の玉のようにあったかい施設をつくりましょう」。大きな、共鳴の拍手。

 集会後。主宰者らとともに地下の居酒屋へ。加藤さんは赤いワインを飲みながら語る。中東情勢。往時の学生運動。そして自然との共生…。夜は更けていく。別れ際。ほろ酔いの歌手はいった。「デビュー50周年なの」。そうか。彼女は歌い続けている。記者のわたしは、書き続けよう。(塩塚保/SANKEI EXPRESS

 ■逍遥 気ままにあちこち歩き回ること。

ランキング