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【続・灰色の記憶覚書】幼き日 樹木の中の情事 長塚圭史

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【続・灰色の記憶覚書】幼き日 樹木の中の情事 長塚圭史

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春の太陽に照らし出されたこの麗しい影が女優のMさんです。写真もMさんが撮影現場にて撮ったものです(提供写真)  現在共演させていただいている女優のMさんにアポリネールの本をプレゼントする。アポリネールなんていう猥褻(わいせつ)なたぐいの本を女優さんに貢ぐなんていうのは下心見え見えで破廉恥だといわれてしまうのかもしれないが、Mさんは彼のエロスを十分に楽しめる大人の女性であり、そもそも異性にプレゼントという行為自体がそれなりにいやらしさを伴っているわけで(同性でも別のいやらしさは伴う)、いっそ男女をくっきりと匂わせるツンと酸味の利いた品、ないしはロマンチックな品々を交換し合う方が潔く健全である。何処(どこ)までも男性は男性であり、女性は女性である。性差をなあなあにするのは、私は好かない。差別の話ではない。女友達はいるが、あくまで異性の友達であり、同性の友達とは違う。違うのだから違うままでいていいし、その方が自然ではないかということなのだが。

 「どちらかにキスをしろ」

 幼いころの記憶の中で格別美しいものの一つに、樹木の中の情事、がある。当時私は園児である。私とF男は同い年のY子に興味津々であった。或(あ)る日、あれはバレンタインではなかったかと思うのだけれど、近くに住んでいた3人はわいわいと、近所の小さな保育所の庭にあるお化け大木のそばで遊んでいた。

 これは実際の大木ではなく、遊具の一種で、大きな目鼻の描かれた茶色い木のオブジェの中を出入りできるようになっていた。当時は大きいと認識していたが恐らく大人1人入れるほどの小さなものであったのだろう。私とF男とY子は夕暮れ時までそのお化け大木の辺りで遊んでいた。

 帰り際、私たち3人は大木の中にいた。いや、それほど遊んでいたわけでもなく、ただ幼稚園からの帰り道にひょいとその大木の中に入り込んだだけなのかもしれないが、いずれにせよ、夕暮れ時、3人は薄暗いその中にいた。F男がY子に言った。私かF男、どちらか好きな方にキスをしろ、と。衝撃が走る。勿論(もちろん)キスという行為を求める強烈さにあり、さらにどちらか選べという選択を迫った過激さによるものだ。

 彼女は断らず、そして

 私はそれとなくわかっていた。F男は私がY子に興味を持っていることに触発されて自分もY子に興味があると錯覚していると。いや、幼稚園児がここまで他者の心情に明瞭な分析はできない。しかし少なくとも奴は私ほどの興味はないということは明白だった。私は彼のデリカシーの欠如を呪い、同時にY子は断るに決まっているとF男の軽薄さを嗤(わら)った。

 ところが居丈高なF男の要求に折れたのか、あろうことかY子はコクンと頷(うなず)いた。有り得ないことである。少なくとも俺たちまだ園児だぜ。私の理性はこのような状況を猥褻だと断じ反発した。だがそうした葛藤を凌駕(りょうが)する、ひょっとするとキスされるかもしれないことへの興味と、私を選んでくれるのではないかという淡い期待、そして勿論浅はかなF男に奪われるかもしれないという危険と恐怖。いずれにせよ、ここまで来て「嫌だよそんなの」と言い放ち、良い子を気取って帰宅するのは無粋が過ぎる。

 目を閉じてというY子の指示におとなしく従った。瞼を閉じた暗闇の中で、夕暮れの音がさやさやと揺れている。何秒たったのかわからない。少なくとも時間とは測れるものではないのだとこの時私は既に感じている。永遠のようでいて一瞬、言い尽くせぬ「時」がそこにあった。やがてY子の吐息が感じられたかと思ったか思わぬかのうちにおでこに柔らかい感触があった。さあ私の鼓動が後から脈打とうかというその刹那(せつな)、狡(ずる)くも目を開けていたF男が大声で「やー!キスしたー!」と子供特有の憎たらしい囃(はや)し声を上げた。私も、おそらくY子も赤面したに違いないのだが、実のところそこから先の記憶はなくなってしまっている。

 いかんせん幼稚園児のお遊びなので、以後Y子との関係がどうなるとか、F男が不必要に翌日も騒ぎ立てたというようなこともなかったと思うのだが(とするとF男もそれなりにY子に本気だったという可能性もはらんでくる。記憶の断片を探るのはこれだからやめられない)、以降私にとってそのお化け大木は、すっかり甘美の樹木と変わり、あれから暫くは、誰にも気付かれぬようそおっとその樹の中に入って目を瞑(つむ)り、あの夕暮れ時を夢想した。

 それからすぐに私は引っ越してしまい、大人になって辺りを散歩していた際には保育所ごと姿を消してしまっていた。

 プレゼントが持つスリル

 私の記憶の中では、あれはY子からのバレンタインのプレゼントであり、やっぱり男女のやりとりとはこうしたスリルを伴って然るべきなのだと改めて思うのだ。そして今となってはこうした素晴らしい記憶を無邪気に贈ってくれたF男に心から感謝しているのである。アポリネールは私のこの樹木の中の幼い情事を嗤うのだろうか。アポリネールを読み終えたMさんに、いつか聞いてみたいものである。(演出家 長塚圭史/SANKEI EXPRESS

 ■ながつか・けいし 1975年5月9日、東京生まれ。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成。ロンドン留学を経て、新プロジェクト「葛河思潮社」を立ち上げた。

 ■Guillaume Apollinaire(1880~1918年) イタリア生まれの詩人、小説家、美術批評家。青年期をパリで暮らし、ジャン・コクトーやパブロ・ピカソらとモンパルナスの芸術家コミュニティーの中心人物となった。小説作品に同性愛や獣姦、殺人など禁断のエロチシズムをつづった「一万一千の鞭」や、少年の奔放な性を描いた「若きドン・ジュアンの冒険(手柄話)」など。

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