心に余裕のスペースを作る
――2人には、闘病生活を乗り越えた共通点があります
鈴木明子さん「私は仙台の大学に入学して1人暮らしを始めた直後、摂食障害になりました。1カ月で体重が10キロ以上も落ち、食欲も全くわかなくなってしまいました。最初は肉から始まり、魚、やがて油がついたものは全部食べられなったのです」
佐藤真海さん「それは、競技のために痩せようとしたためですか」
鈴木さん「太りやすい体質ではなかったのですが、周囲には体重管理にすごく苦労している子もいて、そのことを知っているから、自分も太りたくないという気持ちが強くなりました。1人暮らしを始めたのと重なり、自分で管理しないといけないと、完璧さを求めてしまいました」
佐藤さん「私は大学2年のとき、骨肉腫で右膝下を切断したのですが、あのときは人生そのものが変わってしまいました。高校まで陸上をして、大学では応援部でチアリーダー。右足を失うことで、生活の一部だったスポーツがもうできないと思いました。正直、その姿が想像できなかったです。一人の女性として社会人としてこの先の人生をどうやって生きていけばいいんだろう。どんなことでも頑張れば努力すれば、目標に近づけると思っていたのに、そうじゃなかった…。初めての大きな挫折でした」
鈴木さん「私のフィギュア人生もそれまでは順調でした。ジュニアのころから成績もよかったですし、はっきりいえば挫折を知らなかった。それが食べられなくなった。食べればいいだけなのに甘えている、と思われるのがすごくつらかったです」
佐藤さん「ゴールどころか、先に光も見えない時間を耐えるというのは、本当につらかったです」
――振り返ってみて、それを乗り越えられたのは、なぜだと思いますか
鈴木さん「完璧にできないのに、完璧主義者だった自分をやめて、ちょっとだけ心に『まあ、いっか』という余裕のスペースを作るようにすることができたからだと思います。それから、すごく楽になった。『まあ、いっか』は妥協だと思っていたけど、それがだめなことじゃないんだと思えるようになりました」
佐藤さん「パラリンピックの精神は、失ったものやないものを嘆くのではなく、自分にあるもの、できることにどうチャレンジしていくか。鈴木さんが言うように、競技には完璧を求めるけれど、気持ちの持ち方を変えることが大切でした。鈴木さんと話していて、柔軟で優しい雰囲気が伝わってくるのも、その経験からきているのでしょうね」
――2人とも、お母さんが支えになってくれた
佐藤さん「足を切断すると告知された日の夜、母は『神様は乗り越えられない試練は与えないんだよ』と私に言ってくれました。闘病生活では、その言葉が私の大きな支えになりました」
鈴木さん「私は体重が32キロまで落ちたのですが、もし30キロを切ったら入院しなければなりませんでした。入院治療をするとかなりの時間がかかるのですが、そんな状況でも私は『スケートを続けたいから、入院だけは避けたい』と願っていました。そんな私に、母は『私が責任を持つ』と自宅療養に付き添ってくれました。それまでは反抗期もあって、すごく反発していたのですが…」
佐藤さん「一緒に住んでいると、思春期のころはぶつかってしまいますよね」
鈴木さん「母も、『娘は元気で、スケートも頑張れば良い成績を出すのが当たり前』と思っていました。周囲と比較して、『(安藤)美姫ちゃんは4回転ジャンプを跳んでいる』とか言ってました(笑)。私が病気になったとき、それまでの日常が当たり前ではなくなって、母も本当に変わりました。摂食障害に小さいときの親子関係が影響しているといった指摘もあり、すごく責任を感じていたようです。いまでは、私の一番の理解者で、一番近くで支えてくれています」
佐藤さん「私にとって、母はずっと一番の応援団です。小さいときに習っていた水泳や勉強で結果が出なくても、努力した過程を見ていてくれて、『次、頑張ればいいよ』といつも励ましてくれました。私が足を切断することになったときも、『代われるなら、代わりたい』と言っていました。私のせいで悲しませてしまったと思い、お見舞いに来てくれたときにはいつも以上に元気な笑顔を見せようとしていたことを思い出します」
鈴木さん「(現役最後の)3月の世界選手権に向かうために自宅を出るとき、母はすごく晴れやかな表情で『こんなにも楽な気持ちで送り出せる試合はない』としみじみと話していました。ようやく卒業させられるということなのでしょうが、これまで一緒に戦ってくれていたんだと胸が熱くなりました」
――将来は、どんな母親になりたいですか
佐藤さん「母はどんな人と話すときもニコニコと笑顔で、シャイだった私には近くにいた憧れの人でした。結婚して、もし子供が生まれたら、母のように明るく寄り添える存在になりたいです」
鈴木さん「自分の親にしかわからないことってありますよね。育ててもらって、いまの自分があって…。自分が母になったときは、子供と一緒に成長していきたいと思います。母だから育てるのではなく、自分も育っていく関係でいたいです」
佐藤さん「きっと新しい学びがたくさんあるのでしょうね。未知の世界ですが、スポーツと同じように一歩一歩ですね」(司会・構成:田中充/撮影:大橋純人/SANKEI EXPRESS)
■さとう・まみ 1982年3月12日、宮城県気仙沼市生まれ。早大時代に骨肉腫を発症、20歳のときに右足膝下を切断して義足生活に。大学3年だった2003年1月から高校時代以来の陸上競技を再開。女子走り幅跳びで04年アテネ大会から12年ロンドン大会まで3大会連続でパラリンピックに出場。昨春にマークした5メートル02センチは義足選手の日本記録。サントリーに勤務する傍ら講演などでパラリンピックの普及・啓発にも取り組む。
■すずき・あきこ 1985年3月28日、愛知県豊橋市生まれ。フィギュアスケート女子シングルスで2010年バンクーバー五輪8位入賞、12年世界選手権銅メダル。邦和スポーツランド所属。趣味はヨガ、読書。