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維新「分党」で石原・橋下氏合意 「結い」合流めぐり溝埋まらず

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維新「分党」で石原・橋下氏合意 「結い」合流めぐり溝埋まらず

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5月28日、愛知県名古屋市内で行われた会談を終え、大阪市に戻った橋下(はしもと)徹氏=2014年(沢野貴信撮影)  日本(にっぽん)維新の会の石原慎太郎共同代表(81)は5月28日、名古屋市内で橋下徹共同代表(44)と会談し、橋下(はしもと)氏が主導する結(ゆ)いの党との合流に反対だとして分党を申し出た。橋下氏も了承した。自民党や民主党に対抗する「第三極」として発足した維新は憲法観の違いなどを克服できないまま、約1年8カ月で分裂することになった。

 石原、橋下両氏の会談は2人だけで行われ、約25分で終了した。石原氏は、橋下氏らが目指す今夏までの結いの党との合流について「自主憲法制定を認めない政党と一緒になることはできない」と述べ、党を割ることを提案した。橋下氏も、21日に続く再会談でも石原氏の考えを変えることは不可能と判断した。

 石原氏は会談後、東京に戻り、平沼赳夫(たけお)国会議員団代表(74)らと対応を協議した。29日に記者会見を開き、分裂の経緯などを説明する。

 維新所属の国会議員は衆参あわせ計62人。このうち石原氏とは、平沼氏ら旧太陽の党系を中心に少なくとも15人以上が行動をともにするとみられる。一方、橋下氏は今後、結いをはじめ民主党なども巻き込んだ野党再編を加速する考えだ。

 維新は橋下氏が代表を務める地域政党「大阪維新の会」を母体に2012年9月に発足。12年11月、石原氏率いる太陽の党(当時)と合流し、橋下、石原両氏が共同代表に就任した。12年12月の衆院選では54議席を獲得し、自民、民主両党に次ぐ勢力となったが、その後、憲法や原発政策などをめぐる党内の政策の対立が表面化していた。

 ≪「結い」合流めぐり溝埋まらず≫

 自民党に対抗する勢力の結集を目指した日本(にっぽん)維新の会の野望は、2年も持たずに大きな岐路に立つことになった。37歳の年齢差がああり、「親子のような関係」とみられていた橋下(はしもと)徹、石原慎太郎両共同代表。だが、「自主憲法制定」にこだわった石原氏の説得はかなわず、たもとを分かつことになった。

 統一選にらみ焦り

 分党の気配は会談前日の5月27日からあった。桜内文城(さくらうち・ふみき)衆院議員(48)ら若手8人は5月27日、石原氏に近い平沼赳夫(たけお)国会議員団代表に石原氏と行動をともにすることを「誓約」した署名を託していた。

 これを受け石原氏は28日の橋下氏との会談にあたり、園田博之国会議員団幹事長代理(72)を同行させる予定だった。だが、橋下氏は、石原氏1人だけで来るよう要請。会談前から両者の決意は固かったとみられる。

 石原、橋下両氏の関係について、維新幹部は「他人にはうかがいしれない感情のつながりがある」と感じてきたという。それでも乗り越えられなかった壁は何なのか。

 来年春の統一地方選を控え、橋下氏には焦りがあった。選挙戦に向けてすでに走り出している地方議員の間では、野党再編の実現を見越し、他党との具体的な選挙区調整に入る段階にさしかかっていた。(5月)23日には地域政党「大阪維新の会」の大阪府議も両代表に早期の決着を求める要望を行っていた。

 一方、「自主憲法制定」を政治家人生の集大成と位置づけてきた石原氏にとっても、結(ゆ)いの党との合流を理由に旗を降ろすことはできなかった。橋下氏は「憲法改正を目指すことは変わらない」と石原氏を再三説得した。だが、政治信条を「言葉の問題」と片付けられた石原氏は納得しなかった。会談の最後、石原氏は「別々の道を歩んでいこう」と語った。

 野党再編に弾み

 維新の分党について結い幹部は「勝負あった。石原氏の負けだ」と強調。一方、石原氏と行動をともにする議員は「これですっきりした。みんなの党との連携が進めやすくなる」と語った。維新、みんな両党の若手議員は28日夜、さっそく都内で会合を開き、出席者は「新党結成だ」と意気込んだ。

 維新の分党により野党再編が加速化するのは間違いないが、民主党を含め核になる勢力はみえない。離合集散の繰り返しで終われば、自民党の「1強」ぶりだけが際立つ結果になりかねない。(酒井充/SANKEI EXPRESS

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