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映画的疑似体験と子供を持つことと 長塚圭史

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映画的疑似体験と子供を持つことと 長塚圭史

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梅雨の真ん中で5月の青空を懐かしむ(長塚圭史さん撮影)  【続・灰色の記憶覚書(メモ)】

 おそらく年齢的なこともあるのだろうが、ここのところ周囲でやたらと赤ん坊が生まれる。ここのところと言っても4、5年前からそれなりに始まっていて、気がつけば仲間内で集まると、子供たちがそこらをくるくる走り回っているのである。

 思わぬ特典がつく

 話は唐突に飛ぶが、『絵の中のぼくの村』という、双子の絵本作家、田島征三・征彦氏の、戦後間もない1948(昭和23)年に高知で過ごした少年期の思い出を描いた映画がある。特別何が起こるでもないのだけれど、子役の圧倒的な魅力や、俳優陣のどっしりとした存在感(原田美枝子さん、私の父も出演している)、また大木の上から全ての出来事を見つめている3人の老婆という民話的要素も見事効果して、私は大変に気に入っている作品で、96年のベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞するなど華々しい成果も上げたのだけれど、これがちっともDVD化されなかった。いやひょっとするとされていたのかもしれないのだけれど、おそらくかなり少ない枚数しか出回らず、とにかく見直したいと何度も願っていたのにもかかわらず、これまで私の目に触れることはなかったわけである。

 で、これが昨年やっとDVD化された。すぐさま購入した私は存分に作品を楽しんだのだが、思わぬ特典映像が入っていた。撮影から11年後に田島兄弟の展覧会が高知で開かれるのをきっかけに、この映画の同窓会的なものが開かれ、兄弟を演じた双子が20歳に近づこうかという青年として姿を現したのだ。かすかに面影を残すものの、すっかり大きくなった彼らの姿に驚いたのは当然なのだが、それよりも興味深いのは、彼らがこの映画に出演していた当時のことを、幼過ぎてほとんど覚えていないということなのだ。明らかに戸惑ったような表情で再会の挨拶を交わす。

 観客が入り込む世界

 この作品の大きな魅力のひとつは高知の大自然の中で過ごした経験など全くない東京育ちの私でも、この国の原風景として、どういうわけだか随所に懐かしさを覚えることにある。青々とした森林、圧倒的に広がる空と雲、全方向から響いてくる蝉(セミ)の鳴き声、唐突な豪雨、川のせせらぎ、その川で遊ぶ子供たちのはしゃぎ声、精霊的に村の様子を見つめて話す3人の老婆たちさえも、つまり見たことのない情景さえも懐かしくさせる、大仰に言えば全ての日本人の中に眠っている大地の記憶に語りかける映画なのだ。

 勿論(もちろん)、撮影の中で直接的に体験した双子の子役の血肉には、自覚はなくともはっきりと刻まれている筈(はず)である。しかし彼らは「あんまり覚えていない」という。私の関心は、いずれにしても結果的に、この映画を彼ら以上に我々観客が体感し、記憶したことにある。つまり映画的脳内経験。疑似体験ともいう。少なくとも私はあの光景を記憶している。劇中、彼らの肉体を借りて日本の原風景に溶け込んだということだ。そして双子は忘れてしまっているけれど私は覚えているということは、カメラの前にいた双子の少年たち以上に観る側があの世界に入り込んだということにならないか。

 記憶誘導装置

 というわけで、特典映像で戸惑う双子の青年を見て改めて、映画芸術の生み出す虚実のおもしろさを知り、感心していた次第だが、ここでちょっと本題に入りたい。ここまで本題ではなかったのかという指摘は笑い流したいのだけれど。

 冒頭著したように、私の周辺では、近年新しい命が次々誕生している。想像の範疇(はんちゅう)でしかないのだけれど、子供というものは大いなる記憶誘導装置なのではなかろうか。

 思春期、反抗期などになったらややこしいに決まっているのに、皆口を揃えて、やっぱり子供がいると幸せ、なんてことを話すのは、子のいぬ私からすると、子供、殊に物心つく前の幼い子供はまさに親の記憶を誘発する、つまり『絵の中のぼくの村』よろしく、体験したことは勿論、体験しなかったことさえ、まるで自ら体験したような、記憶の奥底で共振するような体感が生じるのではないか。それゆえに子供を持つと、そのキラキラした純粋の好奇心を前に、自らの根源的記憶が脳内反応を起こし、もう一度子供時代の感覚を取り戻すような錯覚を味わい、陶酔する。それが愛しい自分の子であるゆえ、尚更思い入れは深まり、自らの体験以上の、この目の前の子の体験もまた自らの体験とない交ぜにするといったような、つまり子供を持つという歓びは、これまで生きていた自分自身に、新たなアングルでの疑似人生、異体験をさせることにあるのではなかろうか。

 あくまで子を持たぬ者の私見であるゆえ、真相はわからないのだけれど、大地の記憶を呼び覚ます動物性あるいは麻薬性、また一度きりの人生を記憶の誘導によって倍にするような効果が、子供を持つということにはあるのではないかという考察であり、それはもしかすると未来を明るくすることでもあり、まあそんなこんなは抜きにしても、この映画を覗き見して欲しいという気持ちです、というようなことで今回は幕切れとしたい。(演出家 長塚圭史/SANKEI EXPRESS

 ■ながつか・けいし 1975年5月9日、東京生まれ。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成。ロンドン留学を経て、新プロジェクト「葛河思潮社」を立ち上げた。9月に葛河思潮社の第4回公演『背信』(ハロルド・ピンター作、喜志哲雄翻訳、長塚圭史演出)を上演予定。出演は松雪泰子、田中哲司、長塚圭史。

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