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社会
震災・原発事故 福島を記憶する(上) 復興の第一歩 住民の声を聞いて
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福島県南相馬市の小高地区の駅前通り。歩いている人の姿はない=2014(平成26)年6月29日(横浜国立大学_学生記者、細川高頌撮影)
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から3年以上が経過した。福島の復興への道のりはなお遠いが、震災と原発事故の風化が懸念されている。横浜国立大学教育人間科学部3年の学生記者、細川高頌さん(20)が、改めて記憶に刻むため、福島を訪れた。
□今週のリポーター 横浜国立大学 学生記者 細川高頌さん
日曜日にもかかわらず、駅まで続く大通りは、車が通ることはあっても、人影はほとんどない。雲で覆われた空から降る小雨が、街の雰囲気をより一層寂しく感じさせた。
福島県南相馬市の南部に位置する小高地区は東京電力福島第1原発から20キロ圏内にあり、2012(平成24)年4月の区域再編で避難指示解除準備区域に指定された。特別な許可がなければ泊まることはできないが、日中は自由に出入りでき、企業や店舗の営業も許可されている。
JR小高駅のすぐ横に釣具屋があった。半分閉まったシャッターの奥に明かりが見えたので店内をのぞき、人がいることを確認して中に入ると、3人の男女が談笑していた。「話が聞きたい」と切り出すと、男性が「ここは捨てられた街だ。早く帰った方がいい」と言った。この男性は現在、東京に避難しているという。
「今の県知事も、市議会議員も誰もこの場所に来ない。マスコミも来たのは区域再編のときだけ。東京で最近、原発のニュースやってるか? 俺らは国から捨てられた難民なんだよ」
男性の怒りは収まらない。石原伸晃(のぶてる)環境相が、除染で出た汚染土などの中間貯蔵施設建設をめぐり、「最後は金目でしょ」と発言したことに、「俺はあれを聞いたとき、『その通りだ。よく言ってくれた』と拍手したよ。きれいごとはいらない。同情もいらない。最低限の金がなきゃ、希望は持てない」。
前日に訪れた、郡山市内の仮設住宅にある富岡町生活復興支援センターに飾られていた七夕の短冊が頭に浮かんだ。富岡町は全体が原発から20キロ圏内にあり、今も全町民が避難を強いられている。「お金はいらない。富岡に早く帰りたい」と書かれた短冊があった。多くの避難者にとって故郷に帰ることが一番の希望だと思っていた。それだけに、男性の言葉に衝撃を受けた。
「事故が起こる前まで、原発に大賛成していた。だからこそ本当に悔しい、腹が立つ」と、行き場のない怒りをはき出すように男性は言った。
「この店に集まっているのは、小高から離れられない連中ばかり。新しい土地で生活なんかできない」。男性はこうも言った。「金がなきゃ」という発言も本心に違いないが、小高で小高の人たちと暮らしたいという思いの方が強いのだ。
翌週もう一度、小高地区を訪れた。釣具屋に行くと、初老の店主が一人で店の整理をしていた。「あんた、こんなところまでまた来たんだ。ご苦労なこった」
先週はあまり言葉を発しなかった店主が「仮設では近所付き合いもなくずっと孤独。孤独になると、しゃべらなくなるんだ。想像できないだろ」と話し始めた。
「偉い人たちは俺たちに町に戻って来いって言うんだ。自分たちはこの町に来ないのに。戻るのは老人だけだよ。俺ら老人は戻るしかない。他に選択肢がない。でも若い奴は戻って来ない。雇用もないし、子供にとってはまだまだ安心できる環境じゃないからそれは仕方ない」
しかし、若者がいなければ街の復興はできない。まだまだ復旧さえしていない。現地に来てみると、それがよく分かる。小高で知り合った浪江町出身の男性は「復旧もできないのに、復興なんてできるわけないだろ」と話していた。
釣具屋で取材をしていると、通りに数台の大型バスがやってきた。
「バスで観光客が来るんだ。でも、窓も開けずに、車内から写真だけ撮って帰っていくのが多いよ」と、店主は寂しそうに言った。
「現地に来ることは大切なことだ。テレビや新聞を通して知るのと、肌で感じるのは違う。でもどうせ来るなら、小高の街を実際に歩いて、街の人の声を聞いてほしい」
街を歩いて、街の人の話を聞く。復興の第一歩は、そんな当たり前のことから始まるのだと、教えられた。(今週のリポーター:横浜国立大学 学生記者 細川高頌/SANKEI EXPRESS)