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岡村昭彦の写真展 キャパを継いで戦場記した男
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「キャパを継ぐウォーフォトグラファー」
写真グラフ誌の「LIFE」からこう称された報道写真家・岡村昭彦の写真展「岡村昭彦の写真 生きること死ぬことのすべて」が東京都写真美術館(東京都目黒区三田)で開催されている。岡村が残した約5万点の写真の中から、報道写真家としての振り出しとなったベトナム戦争取材をはじめ、北アイルランド紛争、ビアフラ独立戦争など岡村が生きた足跡をたどるオリジナルプリント182点を展示。他に未公開写真100点も資料とともに展示。これほど体系的に岡村の写真を展開した写真展は初めてではないだろうか。
岡村の代表的な仕事のひとつに1971年の南ベトナム政府軍によるラオス侵攻作戦の従軍ルポがある。徹底的な報道管制が敷かれる中で取材され、国際的なスクープとなった作品だ。
岡村の前を行く装甲車が地雷を踏み爆発した。そのときの状況を岡村は自著「兄貴として伝えたいこと 岡村昭彦証言集」(1975年、PHP研究所)の中でこう表現している。
「土煙が晴れると、道路の中央には、装甲車からたたき落とされた兵士がひとり擲弾銃(てきだんじゅう)を右手に、地面に両ひざをついている。その左手には、ひとりの兵士がいまひとりの兵士にすがりついている。私は道路の左手に移動しながら、シャッターを3枚切った。両ひざを地面についた兵士の目は赤く、大きく見すえたまま動かない」
この現場における岡村の一連の視点はあくまでも立った目線で、誇張することなく、状況を克明に記録することに徹していることがわかる。
この写真は1971年3月12日号の「LIFE」の表紙で使われたが、爆発のショックで呆然(ぼうぜん)としている兵士に焦点をあてるようトリミングして掲載された。このルポルタージュは南ベトナム政府軍と米軍の敗北を暴きだし、岡村は2度目の入国禁止処分を受けた。
≪「怖いからこそ報道する価値がある」≫
岡村昭彦は1965年、解放区で潜入取材を行ったため南ベトナム政府から5年間の入国禁止処分を受けた。その後ベトナム戦争の空白を埋めるかのように、ドミニカ共和国、西アフリカのビアフラ、北アイルランドなど世界各地の紛争地域を精力的に歩いた。
ビアフラ独立戦争では、機関銃に左胸を撃たれ倒れかかる兵士の写真を撮った。ロバート・キャパがスペイン内戦で撮影した「撃たれた兵士」をほうふつとさせる写真だ。飛び交う銃弾の中「1インチも頭をあげられない、カメラを持ち上げてシャッターを切るのがやっと」の状況だったという。なぜそうまでして危険をおかして前線に向かうのかとの問いに「怖いからこそ報道する価値があり、報道しなければならない」と答えている。
「シャッター以前」。岡村がよく口にした言葉だ。フォトジャーナリストは何を記録するかという問題意識や世界観がバックグラウンドにあって現場に立たなければならないということだろう。岡村はそうした生き方を実践し、多くの共感を呼んだ。そして「前線に行き、カメラ1台持って“殺し屋の上前”をはねてこようという人たち」がたくさん生まれていると嘆いた。
岡村は、現場・現実がどのようなものであるかを雄弁に語るのではなく、精密に語る写真を目指した。報道写真とは「証拠力の強い写真」と定義した。
晩年は水質保全運動、ホスピスの問題などにも取り組んだ。最後までフリーランスであることを強烈に意識して、行動し続けるジャーナリストであった。(写真報道局 渡辺照明/SANKEI EXPRESS)