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優れた戦争画ゆえ心に負った傷と変貌 「宮本三郎の仕事 1940’s-1950’s『従軍体験と戦後の再出発』」 椹木野衣

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優れた戦争画ゆえ心に負った傷と変貌 「宮本三郎の仕事 1940’s-1950’s『従軍体験と戦後の再出発』」 椹木野衣

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【宮本三郎記念美術館】「飢渇」カンヴァス・油彩、1943年(昭和18、提供写真)  【アートクルーズ】

 世田谷美術館分館の宮本三郎記念美術館が今年で10周年を迎え、これまでの調査・研究を活(い)かして集中的な特集展示を行っている。先日、私が足を運んだのはそのうちの第2期にあたる「従軍体験と戦後の再出発」である。

 宮本の画業のなかでも、この時期の仕事をどう評価するかがいちばんむずかしい。それは展覧会のタイトルに表されているとおり、太平洋戦争での従軍画家としての体験と、それを遺憾なく発揮した戦争画の時代を挟むからである。その後の敗戦に及んで宮本の画風は一変する。その変貌ぶりには誰もが驚かされるはずだ。いったい画家の主体とはなんなのか。絵の前に立ち止まって深く考えずにはいられない。

 新境地を開くもの

 念願であった滞欧での研鑽(けんさん)を経て帰国した宮本は、やがてその腕を買われ、英軍を完膚なきまでに打ち負かしシンガポールを手中に収めた国の誉れ、山下とパーシバル両司令官の会見図を陸軍より委嘱され、期待にみごと応える。

 この会見図は1943(昭和18)年、第二回帝国藝術院賞を受賞。直後に朝日新聞社から天皇陛下を主題とする献上図の依頼を受け、渡欧前は新聞や雑誌などへの挿絵で汲々(きゅうきゅう)としていた38歳の宮本を一気に画壇の頂点へと押し上げる。

 この「山下、パーシバル両司令官会見図」は、東京国立近代美術館に米国からの「無期限貸与」という風変わりなかたちで蔵されており、近年は目にする機会も増えた。が、この絵は従軍画家として宮本が現地で手掛けた多くの古典的なスケッチを積み重ね、初めて描きえたものだ。それまで触れる機会のなかった異国の風俗や日本兵の様子、軍機からの景観などは、画家としての新境地を開くものであったにちがいない。本展ではこうした貴重な小品が多く飾られている。初めて見る写真資料も多い。

 一転して裸婦ばかりを

 ところがどうだろう。敗戦を機に一転。宮本は裸婦ばかり描き始める。それまでのレンブラントやレオナルド・ダ・ヴィンチを思わせる重厚な作風は幕を引くように影を潜めた。この時期、宮本は疎開先であった郷里の石川県小松市から金沢へと滞在先も転々とし、けっきょく1948(昭和23)年まで東京の自宅に戻ろうとしなかった。

 宮本の心中は穏やかでなかったにちがいない。戦争に負けるやいなや、かつて彼が名を上げた戦争画の数々は、戦犯の片棒を担いだ動かぬ証拠として進駐軍から裁かれる火種に変わった。画家なら誰もが戦争画を描いた時代ではあった。しかし宮本は藤田嗣治と並んで誰よりも優れた戦争画を描いた。敗戦という現実は、優れた戦争画の描き手ほど罪が重くなるかもしれないという理不尽を宮本に突きつけた。

 展覧会の会場をまわっていても、同じ時期に同一人物の手で描かれたとは思えないくらい、主題も手法も雰囲気も激変している。宮本は戦争画という「栄光」から、できうるかぎり急いで身を引きはがそうとしていた-そうとしか思えない。しかし、画家がおのれを世に出した絵から遁走(とんそう)するというのは、いったいどのような心境だろうか。

 結果として軍部の戦争責任は、戦争画を描いた従軍画家たちのもとまでは及ばなかった。しかしだからといって、宮本が心に負った傷は早々に中央画壇の拠点に戻れるほど浅くはなかったのだろう。にもかかわらず後に宮本は、「もしも自分がもう一度同じ境遇に置かれたら、きっと同じ過ちを犯すだろう」と述懐している。

 自我感じられぬ空虚

 だが、それなら宮本はなぜ、敗戦後にこれほどまでに作風を変えたのか。いっそ「過ち」を犯した腕と画風をバネに、戦争画を払拭するような群像図を描くことで、画家として内的に整合性ある展開を探らなかったのか。

 戦後の宮本の絵には自我というものが感じられない。腕の確かさはまちがいない。多様な筆触を描き分ける熟練はむしろ高まっている。しかしその高みのなかで宮本の絵はひどく空虚だ。それなら凡庸でも溌剌(はつらつ)とした戦前の裸婦像のほうがはるかに充実している。正直なところ、もう何を描いたらよいのかわからなかったのではないか。そしてだからこそ、「同じ過ちを犯す」のを、心のどこかで待望していたのではあるまいか。(多摩美術大学教授 椹木野衣(さわらぎ・のい)/SANKEI EXPRESS

 ■さわらぎ・のい 1962年、埼玉県秩父市生まれ。同志社大学を経て美術批評家。著書に「シミュレーショニズム」(ちくま学芸文庫)、「日本・現代・美術」(新潮社)、「反アート入門」(幻冬舎)ほか多数。現在、多摩美術大学教授。

 【ガイド】

 ■「宮本三郎の仕事 1940’s-1950’s『従軍体験と戦後の再出発』」 2014年12月7日まで、世田谷美術館分館「宮本三郎記念美術館」(東京都世田谷区奥沢5の38の13)。一般200円。(電)03・5483・3836。

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