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【逍遥の児】天誅組最後の決戦の地に立った

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【逍遥の児】天誅組最後の決戦の地に立った

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 いざ、奈良県東吉野村へ。幕末。武力倒幕の魁(さきがけ)となった天誅(てんちゅう)組。前回のコラムで紹介した。若き志士が幕府軍に最後の決戦を挑んだ地に向かう。

 JR桜井駅。天誅組研究家、玉置修一郎さん(71)らと待ち合わせ。車で南下する。険しい林道。深い、深い山中に分け入っていく。「五本桜」に到着した。天誅組はここで軍議を開いている。山岳地帯を約40日間にわたって転戦。隊士は疲れ果てていた。山麓には幕府軍が陣を構え、包囲している。いかにすべきか。作戦が決まった。決死隊を編成。敵陣に突撃する。混乱の隙をついて若き主将、中山忠光を護衛する本隊がしゃにむに包囲網を突破。再起を図る。決死隊には土佐出身の那須信吾ら6人が志願したという。どんな思いだったのだろう。

 その夜。東吉野村の鷲家(わしか)口。冷たい雨が降っていたと伝えられる。決死隊はひそかに高見川を渡った。敵陣のかがり火が見える。出店坂に迫った。

 「ここが出店坂です。道幅(約2メートル)は当時のままです。決死隊は刀を抜き、敵陣めがけ、一気に駆け下りていったのです」(玉置さん)

 奇襲。幕府軍は驚愕(きょうがく)した。銃を乱れ撃つ。銃弾の嵐のなか、決死隊は突っ走る。坂下の碇(いかり)屋周辺で激戦となった。碇屋は現存する。伊藤志津子さん(82)は語る。

 「それは、それは、すさまじい戦いやったそうな。家の前は血の海になったそうです」

 決死隊は壮絶な最期を遂げた。近くの山にひそんでいた本隊が動き出す。主将、中山忠光らは包囲網を突破して脱出に成功。大阪を経由して長州へ落ち延びた。他にも死地を脱した隊士がいる。池内蔵太(くらた)は長崎に渡り、坂本龍馬の海援隊に加盟した。北畠治房は明治維新後も活躍。男爵となった。天誅組の志士たちは生き抜いたのだ。

 天誅組最後の決戦の地。山麓に墓地。那須信吾らの墓標が建つ。きれいに清掃されている。すがすがしい。黄色い菊。紫色のリンドウの花。そして志士の故郷、土佐の水が供えられていた。

 わたしは目を閉じ、合掌した。秋の風。決死隊が渡った高見川のせせらぎが聞こえる。(塩塚保/SANKEI EXPRESS

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