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【佐藤優の地球を斬る】外交力強化へ若手指導 恩人の岡崎氏に感謝
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講演で話す岡崎久彦氏=2008年5月13日、福岡県福岡市博多区のホテルオークラ福岡(山下香撮影) 10月26日に東京都内の病院で、外務省情報調査局長、サウディアラビア大使、タイ大使を歴任した岡崎久彦氏が逝去された。84歳だった。日本の国益にとって、とても重要な人物を失った。残念であるし、悲しい。
筆者が岡崎氏と初めて会ったのは、1994年のモスクワでのことだ。既に岡崎氏が外務省を退官され、文化人交流プログラムで訪露した。当時、エリツィン政権の戦略策定に大きな影響を与えていたブルブリス国家院(下院)議員との会談を筆者が設定し、通訳兼記録係をつとめた。95年4月に日本の外務省に戻った後も、岡崎氏が主宰する研究会にときどき呼ばれ、ロシア情勢やインテリジェンス・コミュニティーの状況について話をした。その機会に、民間のビジネス・エリートに通じるプレゼンテーションの技法、英語論文を速読するときのコツなどを岡崎氏は筆者にていねいに指導してくださった。岡崎氏は、筆者だけでなく、情報のセンスがある若手にていねいな指導をしていた。人材を育成することが外交力の強化になると言う外務省OBはたくさんいるが、実際にきめ細かな指導をしていたのは、筆者が知る範囲では岡崎氏だけだ。
2002年、鈴木宗男事件に筆者が連座したとき、現役時代に筆者と親しい関係にあった一部のOB大使は筆者を名指しで非難し、大多数のOB大使が「佐藤優など知らない」という態度を取った。そのとき、岡崎氏は、「佐藤君は情報・分析の専門家としてしっかりしている」と擁護してくださった。そのことを筆者は今でも感謝している。
筆者が05年3月に著書『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を出版した直後、虎ノ門の交差点で「佐藤優君じゃないか」と背後から声をかけられた。振り向くと岡崎氏だった。「君の書いた本を読んだよ。よく書けている。それから、新聞や雑誌のインタビューや寄稿も読んだが、論壇で十分やっていけるよ」と言われた。筆者は、「バッシングの嵐の中で、岡崎大使が私を擁護してくださったことに感謝しています。お礼の手紙も書かずに失礼しました」と答えた。岡崎氏は、「僕は当たり前の対応をしただけだよ。君は日米同盟強化という外交の基本線を外したことは一度もない。ロシアとの関係で君のことをいろいろ言う人がいたが、僕は君の言うことに説得力があると思った。そうだ、今度、一緒に焼き鳥を食べよう。事務所のそばにおいしい焼鳥屋があるんだ」と誘われた。筆者は、「もう少し気持ちの整理がついてからにします」と答えた。
その後も岡崎大使からは、さまざまな研究会に誘われたが、鈴木宗男事件のときに筆者が逮捕される流れを作った外務官僚と同席する可能性が高く、そうなれば当然、険悪な雰囲気になり、岡崎氏に迷惑をかけることになると思い、遠慮した。岡崎氏から、「外務省関係者がいない会合だから、ぜひ話をしてもらえないか」と国語問題協議会の講演を依頼されたので、それは喜んでお引き受けした。講演の後、1時間くらい岡崎氏と率直な意見交換をした。岡崎氏は、「外務省の現役でも君のことを評価している人は何人もいる。あんなつまらない事件にとらわれず、君の力を国益のために使った方がいいよ。外務省との間に立つ必要があれば、いつでも声をかけてくれ」と言われた。筆者は、「いや、私が外務省の現役と直接接触しない方が、結果として、日本外交のプラスになると思います」と答えた。
筆者が作家として独り立ちするまでの過程で、目に見えないところで筆者を助けてくれた人が何人かいる。その一人が岡崎久彦氏だ。岡崎大使、どうもありがとうございます。ご恩返しができずに申し訳なく思っています。どうぞゆっくりとお休みください。合掌。(作家、元外務省主任分析官 佐藤優(まさる)/SANKEI EXPRESS)