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FSBが隠した「エジョフ書簡」の映すもの

 モスクワで会社を経営する在野の歴史研究家、セルゲイ・プルドフスキー氏(65)がロシア連邦保安局(FSB)を提訴してまで機密指定の解除を求めた文書が今夏、ウクライナ当局によってあっけなく公開された。

 旧ソ連のヨシフ・スターリン政権で内務人民委員だったニコライ・エジョフ(1895~1940)が、当時の満州国ハルビンからの帰還者を「日本のスパイ」として弾圧するよう指示した1937年の「秘密書簡」である。

 「日本のスパイ」弾圧指示

 中国東北部・黒竜江省の中心都市となっているハルビンは1898年、東清鉄道の敷設権を得た帝政ロシアが都市建設を始めた。1917年のロシア革命後、ソビエト政権から逃れたり、政権と対立する白衛軍を支持したりする「白系ロシア人」が急増。満州国成立後の35年、ソ連の東清鉄道売却に伴い、多くのロシア人がソ連に帰還した。

 公開された37年9月20日付の秘密書簡(計35ページ)は、まさにこのハルビンからの帰還者を標的にしたものだ。ハルビン出身者の大量逮捕を命じた同日付の内務人民委員指令書に付属する文書として、各地の内務当局に送付された。帰還者が一様に、「日本のスパイ」としてソ連での諜報や破壊活動、テロを計画しているとの“筋書き”が詳述されている。

 書簡は、日本の諜報機関がハルビンの反ソ団体と協力し、ロシア人居住者に対して「徴募」や「教育」を大々的に行ったと主張。ハルビン出身者はその上でソ連に「投入」されたとし、多数の「摘発事例」を挙げている。書簡は「わが国の企業や最も重要な鉄道施設の安全が、重大な脅威にさらされている」とし、治安当局の取り締まりが不十分だと結んでいる。

 3万人超が銃殺

 歴史問題に取り組む露人権団体「メモリアル」によれば、この時期に逮捕されたハルビン出身者は4万8000人以上にのぼり、うち3万992人が銃殺された。

 プルドフスキー氏は、祖父が農業指導者としてハルビンに渡り、弾圧されたことから問題を調べ始めた。「書簡は弾圧をどのように行うかの指導書だったが、銃殺された人々の名誉回復も行われた今、内容に機密性はない」と語る。「真実が明らかにされねば、歴史は繰り返される」と、機密解除を拒んだ旧ソ連国家保安委員会(KGB)の後継機関、FSBを批判した。

 書簡は7月、やはりKGBの後継機関であるウクライナ保安局(SBU)の古文書担当者がプルドフスキー氏のことを知り、「当方では機密解除されている」とネット上で公開した。

 日本人抑留問題の研究で知られる元KGB大佐、アレクセイ・キリチェンコ氏(78)は書簡の内容について、「当時の日本の諜報活動は大したものでなかった。少数の(活動)事例はあっただろうが、ほとんど全てが嘘だ」と指摘。「ハルビン出身者の弾圧は、敵をつくることでソ連国民を恐れさせ、団結させるためだった」と語る。

 重なるプーチン政権の姿

 「敵」の存在を示して団結を図る手法は今春、「ウクライナに米欧の支援するファシスト政権が発足した」と大規模なプロパガンダ(政治宣伝)を展開し、ウクライナへの介入や米欧との対峙で支持率を高めたウラジーミル・プーチン露政権の姿と重なってくる。

 プーチン政権は昨年、「愛国心」の浸透を目的に学校用歴史教科書の統一作業に乗り出し、過去の独裁者や戦争を肯定的にとらえる指導要領を策定。指導要領は、スターリンの恐怖政治が確立していった20~30年代について「近代化が生活の全ての面に及んだ」と記述し、37~38年だけで約70万人が銃殺された大粛清の規模にも触れていない。

 プーチン大統領(62)は今月の若手歴史家との会合で、「地政学的利害」から「歴史の書き直し」を図る勢力があるとし、歴史の「客観的な記述と評価」が必要だとげきを飛ばした。エジョフ書簡の機密扱いを続けるのは、それが「客観的な歴史」に有害だからということだろうか。(モスクワ支局 遠藤良介(えんどう・りょうすけ)/SANKEI EXPRESS

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