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科学
ノーベル賞 3教授記念講演 日本発「21世紀の光」 誕生秘話披露
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ストックホルム大でノーベル賞受賞の記念講演をする赤崎勇名城大終身教授=2014年12月8日、スウェーデン・首都ストックホルム(共同) ノーベル物理学賞を受賞する赤崎勇・名城大終身教授(85)、天野浩・名古屋大教授(54)、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)は8日、ストックホルム大の講堂で講演し、「21世紀の光」と呼ばれる青色発光ダイオード(LED)がいかに日本で誕生したのか、おのおのの秘話を明らかにした。
記念講演は授賞式と並ぶ重要イベントで、一般の人に英語で研究内容を紹介する。
この日はまず、赤崎教授がつえをつきながら登壇し、冒頭、「私の名前はレッドだが、ブルーライトの話をします」とあいさつ。「青色光に魅せられて」と題した講演では、椅子に座って大写しにしたスライドを見ながら、多くの研究者が開発を断念した窒化ガリウムを材料に選んだことについて、「最も重要なのは材料の選択だ。タフで電気伝導の性質が優れ、毒性のない窒化ガリウムに大きな可能性を直感した」と述べ、孤独な挑戦の始まりを明かした。
岐路が訪れたのは、きれいに光る窒素ガリウムの微小結晶に気づき、「カギは結晶成長にある」と確信したときだった。当時、大学院生だった天野教授と悪戦苦闘を繰り返した末、1973年の研究開始から12年後の85年、天野教授が無色透明のきれいな結晶の生成に成功した。赤崎教授は「(成功は)度重なる失敗を乗り越えた天野君たちの執念のたまものだった」と教え子の献身をたたえた。
世界初の青色LEDを実現した瞬間について、赤崎教授は「この結晶を目にした時の感動は今も忘れることができない。目にしみるような青色の光は、私の研究人生の中で最も思い出深い出来事の一つだった」と感慨をこめた。
体調に不安を抱え、ストックホルム入りしてからも大事を取っていた赤崎教授。椅子に腰掛けたままの講演となったが、しっかりした口調で時折、会場に目をやりながら大学の講義のように話した。
対照的に天野教授はトレードマークの腰ポーチをつけ、壇上を歩き回りながら身ぶり手ぶりを交えて講演を行った。「ここにいるのが信じられない」と興奮気味だったが、赤崎教授のもとで青色LEDの研究を始めたときのことを「世界を変える。簡単だと思っていた」と打ち明け、笑いを誘った。
そして、「名古屋大で開かれた学会で窒化ガリウムの発光を発表したが、部屋には発表者の私と赤崎先生、司会者ともう1人のたった4人しかいなかった」とのエピソードを披露。資金不足ですべての実験装置を手作りし、仲間が卒業旅行に行く中、一人で実験を続けた大学院生時代を振り返り、「若者たちには人類に貢献するような難しい課題にもっとぶつかってほしい」とメッセージを送った。
青色LEDの実用化に成功した中村教授は大会場での発表にも慣れた様子。早口の英語で、エネルギッシュに語り続け、窒化ガリウムを材料に選んだ理由を「(ライバルが少なく)論文を書けると思った。論文を書いて博士号を取りたかっただけだ」と話し、会場から大きな笑い声が上がった。
また、天野教授の講演内容を引き合いに「学会に出席したもう1人は私だ」と話して会場を沸かせた。
現在は、高効率のレーザー照明の開発に取り組んでいると説明し、「非常に小さな製品を作れる。22世紀はレーザー照明が普及しているだろう」との未来予測を披露。最後に「当時は小さな会社だったが、資金を出してくれたおかげで青色LEDを開発できた」と、日亜化学工業(徳島県)の創業者の小川信雄さんらに謝辞を述べて講演を締めくくった。
満席の会場は3人の「光の開拓者たち」に惜しみない拍手を送った。(SANKEI EXPRESS)