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科学
【ノーベル賞授賞式】物理学賞 3人同時ゴール 「挑戦と競争」抜きつ抜かれつ
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サインしたノーベル博物館の喫茶店の椅子を手にする赤崎勇名城大終身教授(右)と天野浩名古屋大教授=2014年12月9日、スウェーデン・首都ストックホルム(共同) ストックホルムで開かれたノーベル賞授賞式で物理学賞の栄誉を受ける赤崎勇・名城大終身教授(85)、天野浩・名古屋大教授(54)、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)。開発した青色発光ダイオード(LED)は人類の生活向上に大きく貢献したと評価された。
青色発光ダイオード(LED)の開発でノーベル物理学賞に輝いた赤崎勇と天野浩、中村修二の3教授は、授賞式を前に師弟の絆や常識を疑い挑戦する姿勢、ライバルとの競争が成功のカギだと強調した。
個性が強い3人は「20世紀中には困難」とされた難題を解決。「(日本流の)挑戦する心」(ノーベル委員会)を世界に示して、日本の底力を印象づけた。
「青色の奇跡」-。そう呼ばれたほど、青色LEDの開発は困難を極めた。
戦後の復興期、「何かの役に立ちたい」と技師となった赤崎氏は実験中、きれいに光る窒化ガリウムの微小結晶に気づき、素材としての可能性を直感し、とりつかれた。
「カギはきれいな結晶づくりにある」。そう確信して助手を探そうとしていた矢先、話を聞きつけ、募集直前にフライングで飛び込んできたのが、当時、24歳で名古屋大大学院生の天野氏だった。
「この若者はやる気がある。絶対にあきらめない。私と同じだ」。赤崎氏と天野氏は「切っても切れない仲になった」。2人は一心不乱に研究。深夜もこうこうと明かりがともる赤崎氏の研究室は「不夜城」と呼ばれた。
「作りやすいものは壊れやすいが、作りにくいものはその分タフだ」。実験は失敗が続き、逆境に置かれたが、信念を曲げない赤崎氏を中心に、研究室の結束は固かった。
「先生との出会いが運命を変えた」と話す天野氏は「先生の考え方がわかるからあきらめず粘り強く実験ができた。大学の自由な校風も研究にプラスだった」と振り返る。
そんな2人を「競争者」として追いかけていたのが中村氏だった。
「徳島県の田舎で自由に研究できたことが大きかった。抜きつ抜かれつつ、切磋琢磨(せっさたくま)し、最後は3人で同時にゴールできた」と語った。
1985年に窒化ガリウムの高品質な結晶作製が成功。青色LEDの開発も実現し、中村氏が大量生産技術を確立すると、LEDは一挙に普及した。
「受賞者たちは真実を求め、挑戦した。相当のリスクをとり、努力した。装置を手作りし、技術を学び、何千回も失敗を繰り返したが、絶望しなかった。最高水準にある実験室の芸術的な手腕だ」。ノーベル委員会は絶賛している。(ストックホルム 内藤泰朗/SANKEI EXPRESS)
≪LED、貧困層の未来照らす≫
ノーベル物理学賞に輝いた青色発光ダイオード(LED)の発明は、省エネルギーや通信、医療、農業など幅広い分野で技術革新をもたらした。ろうそく、白熱電球、蛍光灯に次ぐ「第4の光」とも呼ばれるLED。日本発の「21世紀の光」は、世界の常識を大きく変える可能性を秘めている。
「確かめたら、やはりLEDが使われてました。うれしいですね」。ストックホルム入りした中村修二教授は、中心部の公園にあるヘラジカの巨大オブジェが無数の光でライトアップされているのを見て、わざわざ確かめに行ったという。
消費電力は白熱電球の10%以下。寿命は10万時間と約100倍。省エネで長寿命なエコ照明は、地球温暖化の原因とされる温室効果ガス発生の抑制にもつながる。「LED照明の普及で、2020年までに、原発が担っていた電力の4分の1を賄える」(天野浩教授)との試算もある。
太陽光発電でも十分に使える光源は「発電所の能力不足で電気の恩恵を受けられない世界15億人以上の人々に光をもたらし、生活の質向上に寄与した」(ノーベル委員会)。2010年頃から国際協力機構(JICA)が始めた太陽光発電と組み合わせたLED照明の普及支援は、20カ国以上、約30件にのぼる。そのうち、約170の島からなる南太平洋のトンガでは、13の離島で家屋、教会、学校など500カ所以上にLED照明がついた。ブータン中南部のチラン県でも、電化から取り残された奥地の約60戸に初めて明かりがともった。
JICA資源・エネルギーグループの松永啓課長は普及支援について、「途上国の教育、保健の改革とともに生産活動、所得の向上、ひいては貧困層の未来につながる“光”だと思っている」と話した。(SANKEI EXPRESS)