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【仏紙銃撃テロ】過激思想に洗脳 情報握る女 仏警官射殺関与 イスラム国と接触も
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「私はシャルリー」。フランス週刊紙銃撃事件の犠牲者を追悼する行事では東京でも行われ、日本在住のフランス人らがテロに屈しない姿勢をアピールした=2014年1月11日午後、東京都新宿区のフランス語学校「アンスティチュ・フランセ東京」(AP) フランスの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」への銃撃事件に続く連続立てこもり事件で、パリ東部の食料品店に籠城したアメディ・クリバリ容疑者(32)の内縁の妻で捜査当局が行方を追うアヤト・ブメディアン容疑者(26)が事件前にフランスを出国し、シリアに逃亡した可能性があることが11日分かった。仏メディアが情報筋の話として伝えた。シリアとイラクを勢力圏とするイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」と接触しているのではないかとの見方が出ており、一連の事件の背後関係を解明する上で、女の足取りが焦点の一つとなってきた。
報道によると、ブメディアン容疑者は1月2日にスペイン・マドリード発トルコ・イスタンブール行きの便でトルコに入国。9日のイスタンブール発マドリード行き航空券を購入していたが、搭乗しなかった。捜査当局は9日、ブメディアン容疑者を夫のクリバリ容疑者とともに、8日にパリ・モンルージュで起きた女性警官射殺事件に関して指名手配していた。
トルコ政府高官によると、ブメディアン容疑者は2日、同行者1人とともにイスタンブールのサビハ・ギョクチェン空港に到着。2人は4日までイスタンブールに滞在し、南東部の都市ウルファに飛び、その後シリアに入った公算が大きい。ウルファはシリアの戦闘へ参加しようとする外国人の経由地になっている。
クリバリ容疑者は立てこもりの最中、テレビ局と電話で話し、自分はイスラム国のメンバーだと主張していた。また、フランスの捜査当局は、ブメディアン容疑者について武器の使い方を習得した危険な人物だとしており、今回の一連の事件後、イスラム教徒女性が身に着ける黒いニカブ姿で武器を構えるブメディアン容疑者の写真とビデオ映像が、仏メディアで大きな話題となっている。
ブメディアン容疑者は1988年に、フランス中北部のビリエ・シュル・マルヌで生まれた。両親はアルジェリア系フランス人で、きょうだいは5人。父は配送運転手をしていたが、生活は楽ではなかったという。2006年ごろ、パリに出てスーパーのレジ係として働き、アフリカ系で同じイスラム教徒のクリバリ容疑者と知り合った。
当時、クリバリ容疑者はコカ・コーラの工場で臨時工として働いており、2009年には「若者の雇用促進プログラム」によってエリゼ宮でニコラ・サルコジ大統領(当時)と面会し、「大統領の力添えで正規社員にしてもらえたらありがたい」などと訴えていた。ブメディアン容疑者とクリバリ容疑者は09年7月にイスラム寺院で「結婚式」を挙げた。メディアで報じられた、このころ海岸で水着姿で抱き合っている2人の写真からは、過激派としての萌芽(ほうが)は見て取れない。
しかし、週刊紙銃撃事件の実行犯であるクアシ兄弟が洗脳されたのと同じ説教師とクリバリ容疑者が知り合ってからは、2人とも過激思想に染められていった。クリバリ容疑者が1999年に30人の負傷者を出したパリ国鉄爆破テロの首謀者脱獄計画をクアシ兄弟らとともに立てて2010年に逮捕されると、妻のブメディアン容疑者も事情を聞かれ、「夫はそれほど宗教心は強くなく、パーティー好きで遊ぶのが大好きな人物。大それたことなどできない」などと、とぼけていた。
ブメディアン容疑者がどの程度今回の一連の事件にかかわったかは不明だが、捜査当局は、全容解明につながるキー情報を握っている可能性があるとみている。一方、週刊紙銃撃事件で、自ら出頭し、拘束されていた18歳の少年は、事件と無関係と分かり、釈放された。(SANKEI EXPRESS)