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自然と高倉を意識したものになった 映画「妻への家路」 チャン・イーモウ監督インタビュー
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「焦点を当てたのは夫婦愛だが、見れば物語全体がわかると思う」と語るチャン・イーモウ監督=2015年2月12日、東京都港区(野村成次撮影) 中国を代表する映画監督、チャン・イーモウ監督(63)は新作「妻への家路」(原題『帰来』)の制作に着手する少し前、昨年11月に急逝した日本の名優、高倉健(1931~2014年)に手紙を書いた。「私がこれから撮る映画はきっと高倉さんがお好きな作品だと思いますよ」。いずれ「妻への家路」のプロモーションで日本へ行くつもりだったチャン監督は、高倉を訪ねて作品の感想を聞くつもりだった。高倉主演の「単騎、千里を走る。」(05年)で監督を務めて以来、高倉とは懇意な間柄となっていた。
高倉の訃報はあまりにも唐突に思えた。「本当に驚き、ショックを受けました。私たちは電話や手紙でよく連絡を取り合っていましたが、高倉さんは自分の病気や入院のことなど、まったくおっしゃらなかったんです。だから、てっきり健康で、90歳、100歳まで生きるだろうと、私は確信していました。最後にお話ししたのは昨年3月ごろで、私が電話を入れました。高倉さんは日本語で『応援しているからね』、中国語で『イーモウ、頑張れよ』と励ましてくれました」
「最も敬愛する人物」(チャン監督)の応援を受けた渾身の力作「妻への家路」は、チャン監督が「王妃の紋章」(06年)以来、8年ぶりに名女優、コン・リー(49)とコンビを組んだヒューマンドラマで、夫婦の愛を描いた中国の人気小説をベースとしている。
文化大革命が終わって間もない1977年の中国。20年ぶりに収容所から解放された元大学教授のルー・イエンシー(チェン・ダオミン)は、妻のフォン・ワンイー(コン・リー)と念願の再会を果たす。だが、長年夫を待ち続け、心労を重ねたワンイーは、夫に関するあらゆる記憶を失っていた。イエンシーは他人を装って自宅の向かいの家に住み、一人娘のタンタン(チャン・ホエウェン)の助けを借りながら、妻に思い出してもらおうと奮闘するのだが…。
イエンシーは少しずつ「自分が誰であるのか妻に分からなくてもいい。ずっと妻のそばで静かに寄り添っていよう」との思いを強めていく。イエンシーの生き方は、人間の情感を静かに優しく表現してきた高倉の精神に通じるものがあり、チャン監督がチェンとコンに求めた演出は、自然と高倉の佇(たたず)まいを意識したものとなった。人に静かに寄り添うという意味で、撮影中によく思い出したエピソードがある。
チャン監督が北京五輪開会式の総監督として準備を進めている最中、何の前触れもなく北京にやってきた高倉と再会した。高倉は「今は大変だろうけど、これをそばに置いておけば、きっと開会式は成功するよ」と語り、日本刀を手渡した。その場で日本刀の磨き方を教えてくれたあと、布で日本刀を覆って箱に収めた。「五輪期間中も、今も、自分の仕事場に飾っています。自分の机のすぐ後ろ、1メートルも離れていない場所です。高倉さんの心がこもった日本刀がいつも私を静かに見守ってくれている。この映画の演出のヒントになったと思います」
このインタビューの前日、チャン監督は日本で暮らす中国人の友人宅で高倉の思い出話にふけった。友人は「単騎、千里を走る。」を一緒に撮った映画仲間だった。何げなく口にした彼の話にチャン監督は目を見張った。友人は高倉のもとへ「妻への家路」のDVDを持って行き、作品を全部見てもらったというのだ。きっと体調がすぐれなかったであろう昨年の夏のことで、友人は中国語を解さない高倉に寄り添い、映像を見ながら日本語に通訳していった。
いったい高倉はどんな感想を漏らしたのだろう。「しばらく感慨にふけったあと、『監督はいい映画を撮ったね。すごく感動した。とても好きな映画だ』と言ってくれたそうです」。高倉にきちんとしたお別れができずに悔やんでいたチャン監督は「とてもうれしい慰めの言葉をもらえた」と語り、温かな気持ちになれたという。3月6日から東京・TOHOシネマズシャンテほかで全国順次公開。(文:高橋天地(たかくに)/撮影:野村成次/SANKEI EXPRESS)
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