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【逍遥の児】出雲の青銅器大量埋納のなぞ

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【逍遥の児】出雲の青銅器大量埋納のなぞ

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 雨が降る。早春の休日。展示室。一歩足を踏み入れた。圧倒された。おびただしい量の銅剣。銅鐸(どうたく)。再現された黄金色の妖しい光。古代のパワーが充満しているかのようだ。

 島根県出雲市大社町。県立古代出雲歴史博物館。展示されているのは、荒神谷(こうじんだに)遺跡から出土した青銅器の群れ。

 1984(昭和59)年、道路工事中に偶然、発見された。358本の銅剣が整然と土中に埋まっていた。翌年には16本の銅矛(どうほこ)と6個の銅鐸出土。

 ――だれが、なぜ、これほど大量の青銅器を埋納したのですか。

 ボランティアの男性説明員に聞いた。

 「発見されて30年になりますが、謎のままです。そもそも、大量の青銅器がどこで作られたのかも、分かっていないのです」

 彼は、「あくまで推論」として4つの説を挙げた。(1)戦争時、侵略してきた武装勢力に奪われないよう隠匿した(2)大地の神へのささげ物として埋めた(3)他の土地の邪気をはらうために領土の境界に埋めた(4)青銅器は土中で保管する風習があったが、時代の経過とともに放置されてしまった。

 青銅器は約2000年前の弥生時代に使われていた。材料の銅などは中国大陸、朝鮮半島から入手。極めて高度な加工技術を持つ専門職人が製作したと推測されている。

 新品の青銅器は、黄金色に輝いていたという。弥生人は神秘性を感じていたのではないか。

 民衆が手にすることは不可能だった。権力者か、祭事を仕切った者が所持していたのだろう。その貴重な青銅器を埋めたのだ。それなりの理由があったに違いない。

 そうだ。現場へ行こう。車で移動した。出雲市斐川(ひかわ)町。郊外に小高い丘。ここが荒神谷。恐ろしげな地名。傘をさして出土地を凝視する。人里離れた森。見通しの悪い山の斜面。やはり隠匿説が濃厚ではないか。敗戦時。部族の有力者たちが所持していた青銅器を集め、ごく少数の者がひそかに埋めた。部族が再起したとき、掘り出そうとした。だが、その日は来なかった。部族の記憶は忘れ去られ、現代に蘇った。そんなことを思う。雨が強くなった。(塩塚保/SANKEI EXPRESS

 ■逍遥 気ままにあちこち歩き回ること。

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