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粛清恐れる「解放軍報」 徐才厚氏を痛烈批判
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昨年3月に失脚した中国の徐才厚(じょ・さいこう)・前中央軍事委員会副主席が15日にぼうこうがんのため死去した。71歳だった。中国の官製メディアは「罪深き人生が終わった」「死んでも罪は消えない」などと徐氏を批判し続けている。中でも厳しかったのは、徐氏が生前に社長を務めたことがある「解放軍報」だ。「徐才厚が残した毒をわれわれが全力で除かなければならない」などとする批判キャンペーンを展開し、習近平指導部に忠誠を誓う姿勢を打ち出した。
「人民日報」などの官製メディアは、徐氏の死去を伝える際に「病亡」という表現を使った。中国の場合は、生前の政治的地位に応じて死を表現する言葉を使い分けている。
毛沢東(1893~1976年)、●(=登におおざと)小平(とう・しょうへい、1904~97年)クラスの国家指導者は「逝世」、その他の指導者は「病逝」、芸能人やスポーツ選手の場合は「去世」という。「病亡」は死者を見下すニュアンスがあり、政治犯が死去した時にだけ使われる。1990年代まで、文化大革命後に失脚した王洪文・元共産党副主席(1935~92年)などが死去した時にも「病亡」は使われたが、最近はあまり見かけなくなった。
巨額の収賄などの経済問題で党の規律部門で調査を受けた徐氏だが、死去に伴い不起訴処分となっている。厳密に言うと犯罪者と確定したわけではないが、「病亡」という表現が使われたことで、徐氏は共産党内で「政治犯」と見なされていることがうかがえる。
徐氏と同じく、軍制服組最高ポストである中央軍事委員会副主席を経験した張万年氏(1928~2015年)が今年1月に死去した。その時、中国共産党は訃報で「優秀な中国共産党員、忠誠なプロレタリアの戦士、革命家、軍事家、中国人民解放軍の卓越した指導者」と表現し、最大限の賛辞を贈っていた。数年前から体調を崩し、入退院を繰り返していた徐氏がもし失脚する前に死去していたら、その人生もおそらく同じように総括されただろう。
しかし、徐氏が死去した翌16日の「解放軍報」(電子版)は「徐才厚はベッドの上で監視されながら、その悲しき、恥じるべき一生を終えた。彼の人生は終結したけれど、多くの教訓を残した」との書き出しで、長文の論評記事を掲載した。17日も「徐才厚は解放軍の兵士の人生観、世界観、価値観に重大な損害を与えた」などと批判し続けた。
張万年氏の葬式には、習近平国家主席(61)をはじめ、共産党の主要指導者はほぼ全員が出席した。しかし、徐氏の場合は、家族・親戚などがほとんど連座して拘束されているため、葬儀が開かれるかどうかは今のところ不明だ。仮に認められても、出席者はほとんどいないとみられる。
解放軍報は徐氏が死去する前に病院で治療を受けたことについても「人道上の理由から」とわざわざ説明している。「本来なれば、徐才厚には治療を受ける資格はない」と暗に言っているようだ。数ある中国のメディアの中で、解放軍報が突出して徐氏に激しい理由は、軍の機関紙であるということに加えて、解放軍報が徐氏と特別な関係にあったためでもあるようだ。1992年、地方勤務を経て中央入りした徐氏が北京で最初に就いたポストは解放軍報の社長だった。解放軍報の改革で発揮した手腕が評価され、2年後には総政治部副主任に抜擢(ばってき)された。
最後には軍ナンバー2まで上り詰めた徐氏は、解放軍報にとっては「最も自慢できるOB」だった。解放軍報の事情に詳しい関係者によれば、社長室には徐氏の揮毫が掲げられていたほか、徐氏が地方視察に出かける時は特集を組んで他の軍指導者より大きく宣伝するなど、徐氏との特別な関係を暗に強調してきた。
徐氏が昨年3月に失脚すると、解放軍報はいきなり手の平を返すように徐氏批判の急先鋒となり、徐氏のことを「国妖」(国を攪乱(かくらん)する妖怪)と罵倒するようになった。解放軍報が豹変(ひょうへん)した理由について、共産党の古参幹部は「徐氏が憎いからではない。解放軍報の現在の幹部たちは、徐氏の一派と見なされて粛清されることを恐れているのだ」と指摘した。
中国には「水に落ちた犬は打て」という言葉があるが、現実の世界では、犬を痛めつけることが目的ではなく、叩いている姿を時の権力者に見せて保身を図るのが目的である場合が多いようだ。(中国総局 矢板明夫(やいた・あきお)/SANKEI EXPRESS)