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中国改革派雑誌が存続の危機

 厳しい報道規制が敷かれている中国で、共産党幹部の特権や人権問題などのタブーをしばしば取り上げる改革派雑誌「炎黄春秋(えんこうしゅんじゅう)」が、存続の危機を迎えている。党長老でもある杜導正社長(91)が当局の圧力を受けて10月末に退任する方向となったが、後任が決まらず、今後の方針をめぐっても議論が紛糾。複数の編集幹部が辞任を申し出るなど混乱が続いている。

 党中央宣伝部が圧力

 「炎黄春秋」は、民主化デモが弾圧された1989年6月の天安門事件で失脚した趙紫陽(しょう・しよう)元党総書記(1919~2005年)に近い党古参幹部が中心となり、91年に創刊した月刊誌。中国の近代史を研究することが当初の趣旨だった。中国人民解放軍の創設に関わった軍長老、肖克(しょう・こく)上将(1907~2008年)が主導した団体、中華炎黄文化研究会の機関誌という形を取っているため、共産党中央宣伝部の傘下にある新聞出版総署や文化省がこの雑誌に対する人事権がないのが特徴である。

 改革派の党長老たちの回顧録を中心に掲載し、共産党史の影の部分や社会問題などに光を当て、知識人を中心に人気を博した。部数は創刊から23年で当初の10倍以上となる15万部に達し、中国で最も影響力が大きい雑誌の一つとなった。

 言論統制を担当する共産党中央宣伝部は炎黄春秋の内容を厳しくチェックしている。これまでに印刷業者や配送業者に圧力を加えて配達を遅らせたり、ホームページを閉鎖したりするなど、さまざまな嫌がらせをしてきた。しかし、編集方針にはなかなか介入できなかった。

 軍内で大きな影響力を持った肖上将への配慮のほか、もう一つの理由があった。長年、炎黄春秋の社長を務める杜氏が国務院新聞出版総署長(閣僚級)など重要ポストを歴任した大物で、現在の宣伝担当の劉雲山・政治局常務委員(67)らの元上司に当たるからだ。

 高齢理由に社長退任要求

 炎黄春秋関係者によると、2008年10月に肖上将が死去したことを受け、中央宣伝部はただちに「高齢」を理由に当時85歳の杜氏に引退を求めた。同時に、炎黄春秋が文化省の管理下に入るよう要求した。しかし、杜氏と編集部が猛抵抗した。当局はいったん引き下がったが、習近平政権が発足後の13年ごろから、社長交代と所属変更の圧力が再び強まった。

 「元気なうちにしっかり後継体制をつくりたい」と考えた杜氏はこの10月末に退任することを発表した。同時に、胡耀邦(こ・ようほう)元共産党総書記(1915~89年)の長男で同じ改革派の胡徳平氏(72)を後任に指名。党中央と太いパイプを持つ胡氏に期待を託した。しかし、胡氏は杜氏ほど当局に対抗する力がなかったようだ。

 10月末に社長就任をいったん引き受けた胡氏は、その後、「まだ決まったわけではない」と周囲に語るなど、曖昧な態度を取るようになったという。共産党指導部から「社長になるな」と強い圧力がかかったとの情報もある。

 編集部内でも対立

 社長人事が宙に浮いた炎黄春秋では、今後の進むべき方向性をめぐっても、編集部内で激しい意見の対立が生じたという。炎黄春秋関係者によると、肖上将を失った中華炎黄文化研究会はすでに力がなくなり、杜氏も引退したことで、雑誌が遅くとも年内に文化省の管理下に入るという。楊継縄(よう・けいじょう)副社長ら一部の幹部は、当局の干渉が今後増えても粘り強く雑誌を続けるべきだと主張しているのに対し、「廃刊に追い込まれても信念を曲げるべきではない。華々しく散るべきだ」と主張する幹部も多い。溝は埋まらず、11月になって呉思編集長ら複数の幹部が辞表を編集部に提出した。

 呉氏は著名な歴史学者でもあり、知識人の間で大きな影響力を持つ人物だ。1996年から炎黄春秋の編集部に入ってから、杜氏の後継者と目され、次期社長になるといわれていた。一連のごたごたに嫌気を指し「これからは学問に没頭したい」と周辺に語っているという。

 11月4日に発売された炎黄春秋では、社長は杜氏のままになっている。杜氏ら主要幹部は今、胡氏に社長に就任するよう説得し続けると同時に、呉氏らの慰留にも努めているという。

 内部事情をよく知る大学教授は、「編集部は今、大混乱しているが、どんな結果になっても当局の勝ちだ。発行し続けてもこれまでと同じ雑誌ではなくなってしまうからだ」と、寂しげに語った。(中国総局 矢板明夫(やいた・あきお)/SANKEI EXPRESS

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