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【ネパール大地震】「恩返ししたい」 日本の援助隊奮闘 東日本大震災の教訓生かす
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カトマンズの避難所で、単語帳を使って体調不良を訴える人たちを診察する自衛隊の医療援助隊員=2日(共同) ネパール大地震発生から1週間となった2日、ネパール政府は40万張りのテントがさらに必要だと明らかにした。国内の被害は家屋など建物の全壊が約15万戸、半壊が約15万戸に上り、避難生活者用のテントの配給が急務になっている。
ネパール警察当局などによると、国内の死者は6841人、負傷者は約1万4000人。中国やインドなど近隣国を含めた死者は6900人を超えた。ネパールの地元メディアによると、4月25日の大地震の震源に近い中部ゴルカ地区で2日、マグニチュード(M)5.1の地震があった。大地震の余震とみられる。
ネパール大地震で派遣された日本の国際緊急援助隊。各地の消防や警察、民間などからの人員で構成される救助、医療の両チームに加え、自衛隊の医療援助隊も現地入りしている。東日本大震災で被災地支援に携わった隊員も多く、教訓を生かした懸命の活動が続く。
首都カトマンズ中心部にある軍のグラウンド。発生1週間を迎えた2日もテントが立ち並び、約2500人が避難生活を送る。陸上自衛隊中心の医療援助隊は1日に全隊員約110人がそろい、2日から本格的に避難所での治療を開始した。
「ふるさとの被害のことが思い出された。何とかしないといけないと思った」。福島県会津若松市出身の医官、竹島幹雄2佐(47)がネパール大地震の発生を知った際、脳裏をよぎったのは東日本大震災のことだった。震災では福島県郡山市を拠点に、郷土での支援活動に加わった。
2日間の医療活動で「不眠症状の人が多い。これからは精神面のケアが重要になる」と感じた。「不安を訴える人も多いが、笑顔で接して少しでも和らげたい」と精力的に動き回る。
「被災地での経験を生かしたい」と意気込むのは岩手県矢巾町出身の准看護師、細越隆弘3曹(30)。東日本大震災では発生直後からヘリコプターに乗り込み、福島県内で救助活動に携わった。
東日本大震災の際、アジアの貧国ながら日本に毛布5000枚を提供してくれるなどしたネパールの窮状に、支援活動への参加を申し出た。「助けていただいた分以上にお返ししたい」。言葉が通じないのがもどかしいというが、「身ぶり手ぶりで気持ちを伝えたい」と、ひっきりなしに訪れる患者の訴えに耳を傾けた。
日中は強烈な日差しと暑さに見舞われるカトマンズだが、夜は冷え込む。以前からの膝の痛みが悪化し、はれてしまった女性のシャンタマヤ・マジさん(47)は「遠くから助けに来てくれて感謝している。痛みも和らいだ」と、湿布を貼ってもらった膝をさすった。
隊長の中川博英1佐は「恩返しをしたい。心を込めてやろうと隊員に伝えている」と始まったばかりの活動を見据えた。(共同(SANKEI EXPRESS)
≪「雪崩だ、大きいぞ」 邦人登山家が証言」≫
大きな地響きがしたかと思うと、直後に猛烈な勢いで雪煙が襲ってきた-。ネパール大地震で起きたエベレストの雪崩に遭遇し、今もベースキャンプにとどまる日本人登山家の仙波孝康さん(50)=東京都中央区=が2日までに共同通信の電話取材に応じ、恐怖の瞬間を振り返った。
4月25日昼ごろ、ベースキャンプのテントの中にいた仙波さんは、ゆっくりとした横揺れを感じ、急いで外に出た。エベレストの稜線を見ると、突然「ドーン」と大きな音がした。白い雪煙が大きく舞い上がり、自分の方に来るのが見えた。
「雪崩だ。大きいぞ」
10秒もたたないうちに雪を含んだ強烈な風が、仙波さんを襲った。急いでテントの中に入り、飛ばされないようポールを必死で支えた。
そのまま30秒ほどたっただろうか。風が収まり、音もしなくなった。
外に出ると、周りのテントはめちゃくちゃになぎ倒されていた。比較的下方にあった仙波さんのテントは無事だった。
ベースキャンプには当時、登山者ら数百人がいた。被害が大きかった上方に行き、次々と運ばれてくるけが人に包帯を巻き、救助活動をした。多くの負傷者がヘリコプターで運ばれた。「まるで野戦病院のようだった」
仙波さんは3月に日本を出発、6月に帰国する予定だった。今後ヘリを手配して、できるだけ早く下山する。「安全だと思っていたベースキャンプで雪崩に遭うとは予測できなかった。一歩間違うと、自分も巻き込まれていた」と話した。(SANKEI EXPRESS)