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ソ連の抑圧と闘い続けた「白鳥」 20世紀最高のバレリーナ M・プリセツカヤさん死去

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ソ連の抑圧と闘い続けた「白鳥」 20世紀最高のバレリーナ M・プリセツカヤさん死去

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2006年5月28日、ドイツ・バイエルン州ミュンヘンのバイエルン・バレエ劇場リハーサル室でインタビューに答えるマイヤ・プリセツカヤさん(飯田英男撮影)  ロシア・バレエの殿堂モスクワのボリショイ劇場で長年プリマを務め、「20世紀最高のバレリーナ」と称されたマイヤ・プリセツカヤさんが2日、滞在先のドイツで心臓発作のため死去した。89歳だった。ロシア主要メディアが伝えた。日本を「第二の故郷」と呼ぶ親日家で、これまで約40回訪日し多数の公演を行った。2006年に、優れた芸術の世界的創造者を顕彰する第18回高松宮殿下記念世界文化賞(演劇・映像部門)を受賞。日本バレエへの貢献で11年秋には旭日中綬章を受章した。

 1925年、モスクワ生まれ。芸術一家に生まれるが、父はスターリン体制下で政治犯の嫌疑をかけられ銃殺、母も流刑になり、おじとおばの元で育つ。18歳でボリショイ劇場に入団すると、美貌と技巧、抜きんでた芸術性で瞬く間に人気を博した。

 47年に主役を演じた「白鳥の湖」で称賛を浴び、旧ソ連体制下で一時、出国を禁じられるなど抑圧を受けながらも、60年にプリマに昇格。世界的な名声を獲得した「瀕死(ひんし)の白鳥」を生涯の代表作として繰り返し踊った。

 89年にボリショイ劇場のソリストを退くが、80歳を超えても現役ダンサーとして舞台に立ち続けたほか、振り付けや演出に取り組んだ。自身の名を冠した「マイヤ」と呼ばれる国際バレエコンクールを主宰するなど若手育成にも尽力した。

 当局から24時間監視

 「この地上にソ連の政権から逃げていける安全な場所などなかった」

 世界文化賞を受賞した際、ドイツ南部のミュンヘンにあるバレエスタジオでのインタビューで、旧ソ連当局の抑圧を受けながらバレエ界に新風を吹き込み続けた不屈のプリマは、こう語った。

 両親は独裁者スターリンによって逮捕され、突然消息を絶った。父親が銃殺された事実を知ったのは、ソ連末期にグラスノスチ(情報公開)が始まってからだ。父親はスターリンによる大粛清で犠牲となった数百万人の一人だった。

 才能が認められてボリショイのプリマになってからも、当局から24時間監視され、外国公演が許されない苦悩の日々が続いた。

 それでも外国に亡命しなかったのは、当時のソ連では外国に行くことがそう簡単でなかったことに加え、「すぐに見つけ出され、命に危険があった」からだ。だが、抑圧と苦難に直面したソ連での暮らしはプリマの意志を強く鍛え、「闘う白鳥」へと進化させた。

 「私が当局に何らかのことを示そうと努力したとすれば、そうせざるを得なかったからだ」。インタビューでもこう語っていた。

 日本への思い入れも強かった。天然資源に恵まれず、敗戦を経験してなお、「苦難の色も見せずに豊かな国となったのは、日本人に意志の力があったからだ」と称賛していた。(ロンドン 内藤泰朗/SANKEI EXPRESS

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