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南アからの電子手紙 長塚圭史
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嫉妬するほど画になる南米育ちの近藤良平め(写真は、良平さんから電子手紙で送られてきたもの)=南アフリカ・ケープタウン(提供写真)
ある舞踊家から電子手紙が届いたので開いてみると、明らかに異国の町を見下ろす断崖絶壁からの広大な光景、その最も高い岩の上に立ってポーズを取る男あり。これこそ近藤良平である。現在彼は自身が率いるコンドルズの公演のため、南アフリカにおり、写真はケープタウンの山の上だという。
全くこの人の行動範囲はいつでも規格外だ。客席から彼の跳躍に恋をして15年ほどたつが、今も彼は大空を舞っている。彼と出会わなければ、私が横浜ダンスコレクションでトークイベントに呼ばれたり、トヨタのコレオグラフィー・アワードの審査員に呼ばれることなどなかったかもしれない。
私のダンス原体験は、記憶を掘り下げてゆけば「サウンド・オブ・ミュージック」「ウエストサイド物語」といったミュージカル映画の中で軽やかに舞う俳優たちに魅せられていたようなことにあるのだろうけれど、原体験というにはふさわしくない。
むしろ小学生の時に母に連れられて行ったマイケル・ジャクソン(MJ)のコンサートでの興奮というのが浮かび上がる。「BAD」のツアーで、私はほとんどMJのことを知らずして行ったのにも関わらず、椅子の上に飛び乗って興奮しまくり、というかほとんど踊って、フーズバッドと英語をシャウトした、かどうかはわからないが、盛り上がったこと盛り上がったこと。
この体験によってたちまち私は踊れるポップ・スターに憧れてせっせとダンス・スタジオに通う、ということはなく、むしろやたらと背が伸びる思春期に、自分の肉体を持て余し、読書や映画鑑賞などにふけって、それでもMJの興奮は自身の中でうごめいているものだから、MJを聴いて踊り狂ってみたり、映画『ホワイトナイツ』のミハイル・バリシニコフになろうと跳ね上がってみたりするも、コキコキと奇怪になるばかりで恥ずかしい様子この上なく、踊るということは鑑賞すべきもので、私のような極めて身体の硬い痩せノッポは無理にせずともよろしいという結論に無意識にたどり着き、MJに興奮したことなど記憶のかなたに追いやって、演劇の道を選択する。
ところが大学生になって、新宿文化センターという劇場で、スペインの大変有名なフラメンコの旗手アントニオ・ガデスという人の「アンダルシアの嵐」という作品に出合って、私は腰が抜ける程感動し、生まれて初めてスタンディングしてオベーション、それも誰よりも早く一番に立ち上がって、号泣しながら痛い程に手をたたいてしまう。それはただ純粋に踊りに感動したというだけでなく、せりふもないのに、村の若い娘をさらいに来た領主を、民衆が、それも女たちがフラメンコで追い返したという日常では考えられないシチュエーションが、真っすぐ胸に響くということに驚喜してしまったのだ。
これはもうフラメンコするしかないとヒラヒラのシャツを買いに走り出す、ということには至らずに、しかしダンスは時に物語も紡げるのだと、以降ダンスの果てしなきポテンシャルに敬意を抱くようになるのである。
もちろん身の程を知っている私は、一定の距離を保ちながらダンスを鑑賞し、興奮しても立ち上がることのないように自制を繰り返す。ところが先述したコンドルズの公演を見た際に、さまざまな身体の学ラン姿の男衆が踊る先頭で、文字通りコンドルかと思う程、空を舞った近藤良平氏に一目ぼれ。身の程をすっかり忘れる。
とりあえず近藤良平さんの物まねをするチャンスを得たので、大いにまねをして、その勢いで仲間に入れてくださいと懇願。まさかの快諾。まあ変な身体しているから面白いんじゃないか、みたいな軽い感じで混ぜてくれたのですね。MJやバリシニコフの話をしたら、こんな踊りでしょう?と次々パブでビール片手に踊ってくれるような人柄ゆえに拒まないのか。
ともあれそれから私もコンドルのように跳躍することはできなくとも、ニワトリ程度には跳ね上がることができるのではないかともがくも、どちらかというとコンドルズの中ではコント部分をもり立てるという役割に回って、けれどももちろん心はダンサーの気持ちで、裸になったり、変な顔をしたり、おかしなことをしゃべったりしつつも、時折、数センチくらいぴょんぴょんしながら舞台を彩ったのである。
コンドルズの準構成員のような雰囲気で2年ほど出入りするものの、やはり演劇こそが自らの道であると脱退、というか客席へと戻ってからも、良平氏とは小さな劇場の企画で一緒に踊らせてもらったり、子供向けのおとぎ話を作ったりしてきた。今夏、また彼との仕事が実現する。日本が誇るバレエダンサー首藤康之さんと、女優松たか子さんとの4人で挑むこどもとおとなのためのお芝居第2弾を新国立劇場で作り上げるのだ。
南アフリカで跳躍する良平さんに負けているわけにもいかない。私も現在仙台にこもって演出している木下順二の長編舞台「蛙昇天」で、一匹の哲学蛙の跳躍の謎を追い求めるのだ。(演出家 長塚圭史/SANKEI EXPRESS)