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時の過ぎゆくままに身を委ねてみる 長塚圭史

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時の過ぎゆくままに身を委ねてみる 長塚圭史

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こうしたアナログ思考ゆえ、私は演劇なるものに没頭するのでしょうか。2015年2月上演に上演する『蛙昇天』の稽古場(仙台)にて=2014年12月7日(長塚圭史さん撮影)  【続・灰色の記憶覚書(メモ)】

 iPhone6が発売された秋頃、私の周りでもやっぱり多少は色めきだって、現在iPhone5sを使用しているけれど、やっぱり6へ乗り換えようかしらんとか、これを機にAndroidからiPhoneに切り替えようかしらんとか、便器に落としたiPhone4がやっぱり使い物にならなくなってしまったので、けれど6はまだまだ高級品だからあえて5くらいで収めておこうかしらん、などなど、とにかくそこら中に、ロクロクした空気が蔓延(まんえん)していた。

 しかし私の中では、けれど今度7が発売されたときにはどうするのだろうという疑念ばかりが浮かんでしまう。定期的に発表される新作にいたずらに群がってゆくさまに、このままじゃあ何番まで追い続けることになるのだろうと思うと少々興ざめしてしまい、私自身もiPhoneを愛用してはいるものの、何となく先々むなしいというか、商売に飲まれているような、資本主義の大波の中に在るような気がして、もはや種類も少なくなったあのパカリと開く携帯電話の方が、落ち着いた心持ちがするのではないだろうかということを考えたり、いっそこうした通信機器を持ち歩かない方が身体的にも精神的にも健康なのではないだろうかと考えたりしている間にもメールが届いたり何だりして、こうした便利さを放棄してしまえるほどの決意はなかなかのものだと溜息をついたりしている。このまま私もiPhone23とかを手にしてゆくのだろうか。

 ただ待ち続けること

 ずっと以前、まだ大学生の頃、つまり現在から20年ほど前に、友人と渋谷駅で待ち合わせした日のことを思い出す。私は待ち合わせそのものをすっかり失念しており、自宅で眠り込んでいた。確か待ち合わせはお昼の少し前だったはずだ。はっきりとした目的は忘れてしまったが、ほぼ毎日のように会っている同級生であり、劇団の仲間だったので、多分映画でも見てお茶しようというような、ごくごく日常的な待ち合わせだったと思う。まあいずれにしても私は完全に忘れてしまっていて、午後まで眠り続けた。目が覚めてしばらくすると、不安感が募る。だんだんと、あれ、今日何かあったような気がしてくる。はっと思い出した頃には待ち合わせ時間は2時間以上過ぎている。さすがにもう待っていないだろうと思いながらも、私は急いで駅へと向かう。

 果たして彼はそこにいた。

 彼の足下には無数のたばこの吸い殻が転がっていた(当時はまだ現在ほど喫煙者に厳しくない時代でした。彼がたばこを吸っていたのはなにせ駅の構内ですから。時代は移ろうのです)。私は謝る言葉も見つからずに彼と対峙(たいじ)した。彼は、煙をゆっくりと吐き出してから、ひとこと。

 いや、よかった。

 来てよかったというのだ。そこには、何か日常を損なう不幸などが突発的に私に降り掛かったのではなかったのだねという意味合いと、遅れようが何しようが約束を破りはしなかったのだという意味合いが込められていたように思う。私は相変わらず何も言えぬまま、大きく潤んだような彼の目を申し訳なさそうに見つめていた。やがて彼はたばこを吸い終える。

 じゃ俺、今日は帰るわ。

 と言った。私はうなずく他なかった。彼はそのまま私を残して立ち去った。私は、彼が2時間以上私を待ち続けた、吸い殻だらけのその場所で、やっぱりいつまでも動けずに立っていた。

 得た時間、失った何か

 この思い出は色あせることなく私の中にべっとりと染み付いている。便利の極みであるスマートフォンなどを手にしてから、いやそもそも携帯電話というものをごくごく日常的に使用するようになってから、普段の生活の中で獲得できるはずの、ドラマチックといってもいい、心に残る出来事が激減したように思うのだ。待ち合わせた場所に、あいつはやって来るのだろうかと何時間も待つ。なんてことは、おそらく今はもうないだろう。この待つ時間が短縮された。というか、友人をどこそこで何時に待つ、という概念そのものが失われてきている。もっと効率良く連絡を取り合ってお互いストレスのないように、時間を無駄にせずに、会ったり会うのをやめたりする。大変便利なことですね。あいつは来るだろうか、恋人であれば、彼女は来てくれるだろうか、何かあったんじゃないだろうか、場所を間違えているのはあいつだろうか俺だろうか、公衆電話へ向かった間に来てしまって、そのまま帰ってしまうのではないだろうか。待ち合わせの間にああしてぐるぐると巡る思考は無駄な時間だったのだろうか。

 効率は時にわれわれの時間を砂漠化させる。おかしな話だ。時間を得ようと効率化したのにも関わらず、獲得した時間が潤わない。次の効率のための情報を貪(むさぼ)っていたずらに時を消耗するばかりだ。うまくやらなければ砂に飲まれる。そうでなければ捨ててみるしかない。毎日その岐路に立たされたと思って過ごしている私の時間も、しかしおそらくは漠たる砂にむしばまれているのではなかろうか。(演出家 長塚圭史、写真も/SANKEI EXPRESS

 ■ながつか・けいし 1975年5月9日、東京生まれ。96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成。ロンドン留学を経て、新プロジェクト「葛河思潮社」を立ち上げた。演出を務めるシス・カンパニー公演『鼬(いたち)』が28日まで、世田谷パブリックシアターにて上演。出演は鈴木京香、白石加代子、高橋克実ほか。

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