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【ヤン・ヨンヒの一人映画祭】大切な気付きをくれる「運命の2人」

 「ハンディキャップを抱えた少女が困難を乗り越える感動作」、もしくは「ヘレン・ケラー物語のフランス修道院バージョン」であろうとタカをくくって試写室の席についた私は、冒頭数十秒のシーンを見て自身の軽率な先入観を恥じた。そして、この映画は「ただならぬ光を放つ作品」かもしれないという予感とともに物語の中へ吸い込まれていった。

 野生児を人間に

 19世紀末のフランスのポアティエにある修道院が舞台。ある日、生まれつき目も耳も不自由な少女マリー(アリアーナ・リヴォアール)が父とともにみすぼらしい馬車に乗ってやってくる。髪もとかさず風呂にも入らず過ごしているような汚い身なりのマリーが、空に向かって手をかざしながら全身で光と風を感じている。一切せりふもないこのファーストシーンがナントも饒舌(じょうぜつ)だ。隣に座る父も慈しみ深い視線で少女を見つめ額にキスをする。

 何も見えず聞こえない少女は、強烈に何かを求めていることがうかがえる。それにつながるのは、修道院の野菜畑でトマトに「とっても美人ね」と語りかけながら幸せそうな修道女マルグリット(イザベル・カレ)の姿。“今から出会う運命の2人”に共通する純粋な感受性を想像させるのに十分なイントロダクションである。マリーは今まで会ったことのない修道女たちが自分に触れた途端すさまじい勢いで反発し、芝生の庭を暴走したあげく木に登ってしまう。その尋常ではない抵抗は、マリーが管理されることを何よりも嫌うことを証明する。

 マルグリットは恐る恐るマリーに近づき、ゆっくりと優しく手に触れる。マリーは誰の手なのかを確かめようとマルグリットの顔をなぞる。マルグリットはマリーの自由を求める魂に“恋したように”惚(ほ)れ込んでしまう。そして、ナイフもスプーンも持ったことがないマリーという「野生児」を「人間」に育てようとするマルグリットのすさまじい闘いが始まる。

 心の洗濯したような

 中盤では、ヘレン・ケラーとサリバン先生の物語でおなじみの“人間らしい振る舞いとマナーをたたき込む”想定内の格闘シーンが続く。しかしこの映画の神髄は後半である。マルグリットがマリーに教えたかったのは、目に見えるモノの名前だけではなかった。それらを踏まえた上で「愛とは?」「生きるとは?」「死とは?」という「概念」を教えようとしていたのだ。

 言葉を覚え手話を取得し知的で可憐(かれん)な少女に変身していくマリーを見ながら、マルグリットの体は病に蝕(むしば)まれていく。一方、両親への愛や感謝までも伝えられるようになったマリーは、マルグリットの死を受け入れ献身的に看病するまでに成長する。「育った人」と「育てた人」の姿は身障者云々という次元を超え、友情と信頼、愛と希望への普遍的な物語として輝きを増す。

 ジャン=ピエール・アメリス監督(53)に見いだされ主役のマリーを演じた、自身も聴覚にハンディキャップを抱えるアリアーナ・リヴォアールが素晴らしい。建前の褒め言葉や嫌われないための“優しさ”があふれている昨今、出会った人の魂に裸の心で向き合い誤解や衝突を恐れず正直に心の中の言葉を伝え合おうとする人がどれほどいるだろう。私は他者とどう向き合ってきたのだろうかと考え込んでしまった。生きる、出会う、伝え合う、愛し合う、その全てについて大切な気付きをくれる作品である。94分間、心の洗濯をしたような気分だ。東京・シネスイッチ銀座、大阪・シネ・リーブル梅田ほかで公開中。(映画監督 ヤン・ヨンヒ/SANKEI EXPRESS

 ■ヤン・ヨンヒ(梁英姫) 1964年、大阪市生まれ。在日コリアン2世。映画監督。最新作「かぞくのくに」は第62回ベルリン国際映画祭で国際アートシアター連盟賞を受賞。他に監督作「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」がある。

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