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【ヤン・ヨンヒの一人映画祭】触れ合い互いに成長する医師と患者
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【かざすンAR(視聴無料)】映画「ジミーとジョルジュ_心の欠片(かけら)を探して」(アルノー・デプレシャン監督)。公開中(コピアポ・フィルム提供)。(C)2013_Why_Not_Productions-France_2_Cinema-Orange_Studio □映画「ジミーとジョルジュ 心の欠片(かけら)を探して」
前回に続き、またもやマチュー・アマルリック(49)主演作品の紹介となった。とにかく彼主演の素晴らしい作品がめじろ押しにヨーロッパからやって来るんだから仕方がない。今回はフランスの名匠、アルノー・デプレシャン監督(54)の最新作で、全くタイプの違うもう一人の名優ベニチオ・デル・トロ(47)と共演を果たしちゃったから書かずにはいられない。映画ファンならこのドリーム・キャスティングを知っただけで、心躍らせながらスケジュール帳の“MUST SEE映画リスト”に加えるだろう。人種も国籍も生まれ育った境遇もすべて違う男同士の魂の触れ合いを、ぜひとも映画館のスクリーンで目撃していただきたい。
舞台は1948年、アメリカ・カンザス州トピカの軍病院。戦争後遺症の病状に悩まされるアメリカ・インディアン(ネーティブ・アメリカンの当時の呼称)のジェームズ(ジミー)・ピカード(デル・トロ)の治療に困り果てた医師たちは、精神分析医であると同時に人類学者としてアメリカ・インディアンの実地調査も行っていた型破りなフランス人医師、ジョルジュ・ドゥヴルー(アマルリック)をニューヨークから呼び寄せる。
特殊ななまりの英語を話す、まだ患者を持ったことがない“型破りな怪しい精神科医”ジョルジュは、失神するほどの頭痛と悪夢に悩まされながら自分を見失いつつある患者ジミーと向き合うことになる。毎日のようにジミーの人生について話を聞きながらノートをつづるジョルジュは、戦争後遺症と思われていたジミーの症状には幼少期の体験や女性たちとの関係からの影響が大きいことに気付く。ジミーの心の奥深くに隠されていた闇に触れながら対話を重ねる日々、2人の間に医師と患者の関係を超えた友情が芽生える…。
デプレシャン監督は、2人の主演俳優が決定した後に脚本執筆にとりかかったという。ジミー役のデル・トロは今までのたくましく男臭い役柄とは打って変わって、精神疾患に疲れ果て自信をなくしたようなキャラクターを見事に演じ切っている。撮影前に原作を読み込み、ジミーが服用する薬についても完全に調べ上げたという楽屋話もうなずける熱演である。デプレシャン監督作常連のアマルリックは、ジョルジュが話す特殊な英語を身につけるのに数カ月を費やし撮影に挑んだ。自らの出自を明かすことなく、誰にも媚(こ)びず、どこにも属さず、自由を追い求めるジョルジュを魅力たっぷりに演じている。
私にとって忘れられないシーンは「名前」にまつわる場面だ。軍病院に入院後、医師たちがジミーを診察するが病因が分からない。苛立(いらだ)ち始める医師たちはジミーを「酋長(しゅうちょう)」と呼んだり「沖縄戦帰りのインディアン」と呼んだりしながら珍獣のようにジミーを扱う。ニューヨークから駆けつけたジョルジュは、診察の初日に「君のインディアン・ネームを教えてほしい」と語りかける。「オホニタ・エ・プヨ・ペ」と答えるジミーに、ジョルジュはその名の意味を聞く。「噂(うわさ)の男」という意味の名前を持ったジミーが育った部族、宗教、家族構成、生い立ち、トラウマを丁寧に掘り下げて聞く。
愛情の表現のように溢(あふ)れ出る好奇心の根底には「彼の存在そのもの」への敬意があった。そんなジョルジュはジミーに対する社会システムの差別には全身全霊で怒りをあらわにした。やがて別人のように健康な体と自信を取り戻したジミーとジョルジュの別れの日が来る。ジョルジュは「友よ、自分の本名を忘れるな。自ら安らぐ者は相手とも安らげる」とジミーに伝え去る…。
ジョルジュによってジミーは心の病を克服し豊かな人間性を取り戻す。またジミーによってジョルジュも成長し自らを発見し医師らしくなっていく。人と人が出会うとはそういうことなのかも知れない。静かな、しかし深く熱い作品である。それは恐らく、デプレシャン監督の人間を凝視する視線そのものなのだろう。東京・シアターイメージフォーラムで公開中。(映画監督 ヤン・ヨンヒ/SANKEI EXPRESS)
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