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卓越した指導で「即戦力」育てた名将 引退 大屋博行

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卓越した指導で「即戦力」育てた名将 引退 大屋博行

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神奈川大会決勝で、六回の攻撃前にベンチ前で選手に指示を出す横浜の渡辺元智(もとのり)監督=2015年6月28日、神奈川県横浜市中区の横浜スタジア(共同)  【メジャースカウトの春夏秋冬】

 名将がまた一人、高校野球の第一線から身を引くことになった。「選抜」「夏の甲子園」で計5回の優勝を誇り、今夏限りで勇退を表明した神奈川・横浜高校の渡辺元智(もとのり)監督だ。アマでの栄光だけではなく、松坂大輔投手(ソフトバンク)をはじめ、プロへ送り出した数々の教え子たちがその後も活躍を続けている。野球界への功績は計り知れない。

 自ら考えるプレー実践

 初めてお会いしたのは、1998年のことだった。ダイヤモンドバックスのスカウトに就任した年で、横浜が松坂投手や後藤武敏(たけとし)内野手(DeNA)ら有力選手をあまた擁し、春夏連覇を成し遂げたシーズンだ。

 視察に出向いて驚かされたのは、工夫された練習方法と卓越した指導技術だった。

 5、6月のことだったと記憶しているが、春の疲れを抜くため、松坂投手はノースローで調整していた。渡辺監督は自らノックバットを握り、松坂投手の至近5、6メートルからピッチャーライナーを次々と浴びせていた。

 その打球が一番捕りにくい、グラブと反対側の右側に寸分の狂いもなく転がった。動体視力を養う練習だったが、バットコントロールの巧みさに舌を巻いた。さらに、本塁から外野へダッシュしながら捕球する練習でも、松坂投手がギリギリ届くか届かないかの地点へピンポイントでフライを打ち上げていた。

 松坂投手は後ろで聞こえた打球音に反応し、半身になって捕球しないといけない。下半身強化と身のこなし、球際の強さを高めるための練習だろう。こうした細かい練習を積むことが、横浜高出身の選手がプロでも即戦力として活躍する秘訣(ひけつ)なのだと実感させられた。

 当時は、紙面に書けないような罵声を選手に浴びせる指導者も多かった。渡辺監督は対照的で、「ダメだろう、それじゃ」などと優しく説諭するように選手を指導していたのが印象的だった。そんな指揮官のもとで、選手たちは「やらされる」練習ではなく、自主的に野球を学び、自ら考えるプレーを実践していた。こうした指導方法が、洗練されて効率のよい、「横高」らしいプレーの数々を生み出したのだろう。

 渡辺監督と長きにわたってコンビを組んだ元部長で、名参謀として知られる小倉清一郎さんの存在も欠かせない。私が練習を見に行ったとき、選手がまだ誰も現れていないのに、小倉さんが一人土ぼこりにまみれてグラウンドの整備をしていたのが忘れられない。野球に懸ける熱意は人一倍。横浜が高校野球史に残した金字塔は、二人三脚でなし得たのだろう。

 「人生そのものだった」

 渡辺監督も70歳になった。「松坂世代」の活躍から17年も経過するのだから無理もない。

 ここ数年、甲子園に出場した横浜高の野球を見ていて、残念なことがある。そつのない「渡辺野球」らしくないプレーが目につくようになった。

 たとえば、キャッチャーがベースカバーを怠っていたり、他の選手がミスした後のリカバリーが雑になっていたりという場面だ。

 指導が行き届かないところや求心力に欠けるところが出てきたのかもしれない。それが、今回の勇退という決断につながった気もする。

 名将最後の夏は、「日本一の激戦区」と呼ばれる神奈川県大会の決勝で幕を閉じた。4回戦で第1シードの相模原を破ると、準々決勝は横浜隼人に逆転勝ち。桐光学園相手の準決勝は劇的なサヨナラ勝ちを収めた。甲子園にはあと一歩届かなかったが、報道によると、最後は選手たちの手で胴上げされ、選手に感謝。「高校野球は自分の人生そのものだった」と語ったそうだ。名将のさわやかな表情が目に浮かんだ。(アトランタ・ブレーブスの国際スカウト駐日担当 大屋博行/SANKEI EXPRESS

 ■おおや・ひろゆき 1965年10月生まれの47歳。大阪府出身。高校中退後に渡米し、アリゾナ州スコッツデール市立コロナド高校で投手としてプレー。コロナド高を卒業後に帰国し、プロ野球阪神で練習生、歯科技工士などを経て98年に米大リーグ、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの国際スカウト駐日担当に就任。2000年からアトランタ・ブレーブスの国際スカウト駐日担当として日本国内の選手発掘に励む。

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